伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
「お屋敷のお仕事でもないのに、お店の後片付けを手伝わせてしまって、ごめんなさい」

馬車に乗り込み、座席に着いて間もなく、クレアがジュディに頭を下げた。

「いえ、そんなっ……お顔を上げて下さいっ」

突然のことに、ジュディは恐縮して慌てて言葉を返す。

「でも、とても助かったわ。ありがとう」

「クレア様……」

力なく微笑むクレアを見て、ジュディの目が潤んだ。二ヶ月一緒にいて、クレアがどれほどあの店を大切にしていたか、ジュディにもよく分かっていたからだ。

クレアはどんなにレッスンで疲れていても、その翌日の仕事を一度たりとも休んだことはなかった。

行き帰りの馬車の中で、クレアは時々語っていた。あの店は、母親との思い出がたくさん詰まった宝物で、これからも守っていくのだと。

あの店が残っていたお陰で、自分は母親との悲しい別れから、何とか立ち直ることが出来たのだと--。

クレアは唇をぎゅっと引き結んで、うつむいてじっとしている。その心中を思うと、ジュディも掛ける言葉が見付からなかった。




屋敷に戻ると、玄関に迎えに出たローランドから報告を受けた。

「旦那様には、すでにお伝えしてあります。間もなく外出先からお戻りになると思います」

ありがとう、とクレアは頷く。

昼食は、と聞かれたが、首を横に振った。今は何か食べられるような気分ではない。

自室で着替えを済ませ、三つ編みをほどき、いつものようにジュディがその髪にブラシをかける。

身なりを整えると、クレアはまず机に向かい、引き出しから便箋を取り出して、その上にペンを走らせた。


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