伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
月夜の出会い
社交シーズンの王都の夜は長い。
大広間の高い天井からは、いくつもの輝くシャンデリアが吊り下げられ、その下には大勢集まった紳士や貴婦人、ここぞとばかりに着飾った貴族令嬢達が男性とダンスをしたり、グラスを片手に楽しそうに時間を過ごしている。
その中に、クレアの姿があった。
だが、それは大広間の中心でもなければ、談笑する輪の中でもない。
彼女は白い壁すれすれの、かなり目立たない場所に、一人ポツンと立っているだけだった。
ああ、早く帰りたい……。
その口から、深い息が出る。
もちろん、退屈なのもあるが……胴を締め上げている慣れないコルセットが、思いの外、きついからだ。
今夜の舞踏会、自分が場違いなのは充分承知している。
ダンスの中心に、ちらりとヴィヴィアンの姿が見えた。彼女は、ピンク色の花飾りが裾全体に縫い付けられた、真っ赤なドレスを身に付け、ダンスを楽しんでいる。
それにひきかえ、クレアはモスグリーンの詰め襟のドレスを着ていて、髪はさすがに三つ編みではないが、シンプルに後ろで結い、飾り気はない。全体的に『地味』の一言に尽きる。
現に、そんなクレアに声を掛ける人もいなければ、近寄って来る者もいない。
完全に、いわゆる『壁の花』と化していた。
いや、花という表現も正しいとは言えないが……。
だが、彼女は自分の置かれた状況を惨めに思うわけでもなく、むしろ、内心ホッとしていた。
……ダンスに誘われても踊れないし、話し掛けられても、上流階級の方達とどんな会話をしたらいいのかも、分からないんだもの……。