伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
雪どけの街
「クレア、最近忙しいみたいだね。体調は大丈夫かい?」
ブラッドフォード家の応接間。ソファーに深く腰掛け、クレアの入れた紅茶を楽しんでいるのは、アンドリューだ。
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」
その向かいに座り、クレアは微笑む。
「花嫁修行に加え、店を二店舗も構えるなんて、今や立派なオーナーだね」
「オーナーだなんて、大げさです。新しいお店は、明らかに、ライル様のお力によるものですから」
季節は秋を駆け抜けて、冬の終わりに近付いていた。
ライルとクレアの結婚式は、春に挙げられることになった。
クレアはブラッドフォード伯爵夫人の名に相応しい貴婦人になるべく、マナーやダンスの他に、教養や語学、話し方など、様々な分野のレッスンを日替わりで受けている。
それに加え、新しい店を構えることになった。
発端は、レディ・シルビアがゆっくり店で過ごしてもらえる方法はないか、とクレアがライルに相談したことだった。元の、母から継いだ店は敷地も狭く、ゆっくり買い物も出来ない。高齢のシルビアに座ってもらえる椅子を置く場所もない。
それならば、そういう店を新たに設けよう、とライルがメイン通りからは少し外れるが、広い土地を買い上げ、そこに店を建てたのだ。
そこに、テーブルと椅子のセットを幾つか置き、気軽に客に使ってもらう。新しい茶葉の試飲もしてもらえるようにした。最初はシルビアのようにゆっくり買い物をしたい人向けに開いた店だが、レディ・シルビア御用達の店として、瞬く間に上流階級にクレアの店は知れ渡り、今では大勢の人々が訪れるまでになった。
中には、茶葉の成分や効能、産地に詳しいご婦人もいて、クレアはなるべく要望に答えられるよう、茶葉の知識を一から勉強せざるを得なくなった。
週の半分は元の店に出て、半分は新しい店に出るようにしている。その間、出られない方の店は、従業員を雇って何とか回している。
「そんなに恐縮しなくても、婚約の記念に店を一軒丸ごとプレゼントされたと思えばいいんじゃないかな。ブラッドフォード伯爵家の財力をもってすれば、店一軒くらい、大した出費じゃないだろうしね。それにしても忙しそうだね。大変だろう?」
「大変だと思うことはありますが、楽しみながらやろうと思ってますから」
「上流階級で、あなたの店を知らない人はいないと思うよ」
「私の力ではありません。シルビア様のお陰なんです」
「人脈も、実力のうちだよ」
アンドリューは、屈託なく笑った。