伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
庭園が再び、静寂を取り戻す。安心した直後、クレアの手が震え出した。

頭では大丈夫、と思っていても、心が、先ほどの恐怖を覚えている。触れられた箇所の気持ち悪さが、体に残っている。

ライルが現れなかったら、今頃自分はどうなっていたか。考えるだけで、気分が悪い。

クレアは胸の前で震えを抑えるように両手をしっかりと握り合わせ、どうしていいか分からず、そのまま目を伏せた。

そんな彼女の変化に、いち早くライルは気付いていた。

「最近は、いろんな立場の人達がこういう場に集まってくる。でも、それ自体は悪いことじゃないと俺は思ってるよ。時代が流れるにつれて、これから社会の体制も変わっていくだろうからね」

ライルが静かに言った。クレアはその言葉に、少し驚いて顔を上げた。

さっきは、トシャック氏に対しては貴族とそれ以外の階級には垣根がある、と煽るような発言だった。

義母や異母妹を身近で見ていて、貴族とはそういう考えの持ち主である、とクレアも思っていたから、その時のライルの言葉にはさほど違和感を感じなかった。

しかし、今の彼は、様々な人達と会い、交わるのは悪くないことだと言う。

「だけど残念ながら、時々たまに、あんな風に場をわきまえない輩が入り込むこともある」

……ああ、そうか……。

ライルの目を見て、クレアは納得した。さっきは、トシャック氏を退けるために、わざと区別するような言い方をしたのだ。だけど、それは彼の根本的な考えではない。

変化を嫌い、古い体制にしがみついてばかりの貴族とは違い、彼はその伝統を受け継ぎ守りながらも、柔軟な発想を持っている。おそらく社会のわずかな変化にも敏感だ。でなければ、その歳で事業を成功させることは難しかっただろう。

「初めての社交場なのに、怖い思いをさせたね」

優しくて低い声が、クレアの鼓膜を揺らす。ライルは悪くないのに、彼の表情が申し訳なさそうに曇っていた。

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