この想いが届くまで
 未央が取引先相手との対応で手を焼く少し前、西崎は百瀬の運転する車の後部座席に乗り外出先から戻っている途中だった。夕方に帰宅する人で人通りが増えるのは普通のことだったが、この日は特に人通りが多かった。
「今日祭りでもあるのか?」
 外に目を向けながら呟く。
「花見客ではないでしょうか」
 西崎は百瀬の言葉にピンとこなかった。数日前に開花宣言があったことは知っているが満開にはほど遠い、そう思っていたからだ。
「今日は昼間暖かかったので一気に開花したのでしょう。ほら、ご覧ください」
 西崎はもたれていた背を起こし疑いながら外を見る。ちょうど街中を流れる川の橋を渡るところだった。そこには川に沿って、肉眼で確認できるよりずっと先まで見事な桜並木ができていた。思わず目を奪われ、百瀬の声が耳届かないほど見入る。
「……ですが、社長?」
「……あぁ、ごめん。なんだっけ」
「人事部長から一部予算について相談があると昼に連絡を受けています。戻りが遅くなると伝えましたがどうしても今日中にお話したいそうです」
「分かった。戻ったら聞くよ」
 もう一度外を見ると見慣れたいつものビルが立ち並ぶ景色だった。

 会社に戻り、地下の駐車場から役員用エレベーターに向かう途中、タブレットを操作しながら百瀬が呟いた。
「会議室、いつも使用する部屋でよろしいですか?」
「少し話をするだけだろう? 人事のフロアの、エレベーター降りてすぐのあの小部屋でいいよ」
「……使用中ですね。来客中となってます」
「定時後に来客ねぇ。どこの会社?」
 あ、といつでも冷静な百瀬が珍しく独り言のような呟きを漏らした。
「社長、N社とあります」
「……そうか」
 表情を変えず前を向いたまま足を止めることなく、西崎とその後について百瀬はエレベーターに乗り込んだ。
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