妖あやし、恋は難し
「お前…何者だ。ここがどこだか分かっているのか」
椅子に縛り上げられながら苦し紛れに巽が言った言葉に、湊は返す。
「……それはコッチの台詞だ。お前たちは何に手を出したのか、誰を相手にしているのか分かっていない」
「あ?」
カチャ
「!!?」
不意に巽の喉元に銃口が付きつけられた。
顔が引きつる。
トリガーを引く音が嫌味なほどに響く。
「…俺の正体を聞いたな。教えてやろう。…三年前、関西地区で行われた過激暴力団の一斉摘発を覚えているか?」
三年前
関西地区で今回に似た指定暴力団同士の争いが勃発した。
警察でも手に負えず、抗争は過激の一途をたどり、民間人にも被害が出始めた頃。
突如としてその抗争は終わりを告げたのだ。
その暴力団のトップに居たのは巽の父、故にその時のことは嫌でも覚えている。
忘れられるはずがない。
一夜にして壊滅に陥った、強大な力を失った、あの日の出来事を。
巽は父の成し得なかったことを、潰すことの出来なかった黒木組を自分の手で壊し、乗っ取る為に動いていた。
どうして、今その話を…
巽の頭に疑問がよぎる。
確かにあれには不可解な点が多かった。
当初、警察には自分たちを抑え込む力はなかった。それなのに、ある夜、各地の手を組んでいた組は何の前触れもなく急襲された。
そして翌朝、警察の一斉摘発。
抵抗できるものはおらず逃げることも抗う事も敵わず、拘束されていった。
しかし夜のうちに起きた各組内での出来事は、侵入者による暴行とされながらも証拠が一切出ず追及もされなかった。
銃声も、指紋もDNAも、監視カメラに人影すら写らない。
あきらかなプロの手口。
あったのは、歩けないように両ひざを撃たれ、床に転がって呻く男たちだけ…
その時、巽の頭に考えがよぎる。
それを察するように、湊はささやく。
「…思い出したか?」
「…!!!?まさか…お前…!!?」
「警察には俺の友人が多くてな、たまたま日本に帰って来ていたことと、以前に黒木組に恩があったこともあって、俺に依頼が来た。一晩で、関西地区で幅を利かしている組の戦力をそぎ落とせとのことだった。やり方は俺の方法で、ただし死人は出さない。証拠も残すな。あとは自由に。それが依頼内容だった」
「お前…一人で…!?」
真っ青の顔。
その様子をじっくり見ながら、湊は続ける。
「俺一人だ。いつだってそう。足手まといはいらない」
忠告しておこう。
「俺は人を殺してきた。何人も、何十人も。俺が関わって死んだ人間は数え切れない。……それで分かったことが一つある。俺は、『恐れ』という感情がない。人を殺すことに対しても、自分に死が迫ることに対しても。あるのは主に対する忠誠心と、自分の腕に対する信頼だ。分かるか?俺はお前を殺すことに何の抵抗もないんだ」
わずかに熱い、弾がはじき出されて間もなくの生なましい銃口を肌に押し付けられながら、湊はささやく。
いっそう恐怖心をあおるように、心臓を、魂を押しつぶすように。
「…お前たちが手を出したあの少女は、今の俺の主だ。だから俺が今、ここにいる。本当だったら殺してもいい、全員、一人残らず。だが、彼女はそれを望まない。だから殺しはしない、今は。だが、もう一度ここに、俺の目の届く場所に入ってみろ。二度はない」
彼女にも、黒木組にも、一切関わるな。
でなければ
「殺す」
その言葉を言ったとき
巽は感じた。
彼は、人ではない、『鬼』だ、と。
どこか現実とかけ離れた空気が流れるそこで、巽と湊は視線を交わす。
一人はバケモノでも見たかのように恐怖に怯える目を、そしてもう一人は怒りを真っ黒な闇の中に忍ばせた凶器のような目を。
そうして、湊は部屋を去る。
最後に、忘れるなと念押す様に、巽の目の前に銃弾を一つ置いて。
去り際の黒のスーツに包まれた後ろ姿が、不気味なほど、脳裏に焼き付いていた。