妖あやし、恋は難し
結は悪霊の前に立つ。
一つだけ深呼吸をして、キッと前を見据えた。
翡翠色の瞳が輝きを帯びる。
結の顔がそれまでのおどおどしたものではなく、力強いものに変わっていった。
【悪霊】を前にした【陰陽師】のそれに。
腰のホルダーから長方形の白い紙を五枚取り上げ、悪霊に向かって投げ飛ばす。
その紙は綺麗に正五角形の頂点に位置するように空中で止まると、それぞれを繋ぐように光の線で結ばれ、そこに美しい五芒星を描き出した。
『ガアアアアァアアア!!!?』
悪霊は唸り声をあげる。
苦しむ悪霊に、結は優しい声で語りかけた。
「苦しいのですね。すみません…私には、こういうやり方でしか貴方を助けることは出来ないのです」
そう言うと、両手で印を結び悪霊に向かって手をかざす。
そして唱える
【救急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)】
その瞬間部屋は光で包まれた。
「…かえりましょう本来居るべき場所へ。ここは貴方の居るべき場所ではありません」
『ヴヴッ…ッ!ユ、ルサナイ、ユルサナイィイ……』
光の中から声が聞こえた。
老人の震える声が。
『ユルサナイ』と呟く声は、やがて『サビシイ』という言葉に変わっていった。
『…サビシイ…サビ、シィ……さびしぃ…』
最後の一声は、湊の耳にも、洸太郎の耳にも届いていた。
蚊の鳴くような小さな小さな声。
だが、それは確かに洸太郎の父の声だった。
声が聞こえなくなると共に鎖を引く力は弱まり、やがて金の鎖は床に音を立てて落ちる。
全力でそれを引いていた湊も突然フッと力が抜けたことで、バランスを崩し前のめりにつっぷしそうになる。
(おっと…!なんだ、力が急に…それに今の光と声…終わったのか?全部)
湊が見上げると、そこには光の中に佇む結がいた。
一部だけ不自然に染まった白髪がキラキラと輝いて、一言で言うと、その姿はとても、とても美しかった。
結は、今はもう何もいない空中を眺めて涙を流していた。
そして小さな声で呟く。
「また、殺してしまった…」と。
その言葉を湊は聞き逃さなかった。