愛と音の花束を

ビジネスマンらしき男性が診察室から出てきて、しばらくしてから、おばさまに診察室に案内された。

治療台が2台。

部屋の奥に、紺色のウェアを着た椎名が立って微笑んでいた。
患者に不安を与えないにこやかな営業スマイル。

あぁ、ほら。予想通りだ。

……どんな顔したらいいのか、わからない。

「お待ちしてました」

「……よろしくお願いします」

「をを、いつもと立場が逆で新鮮」

私も同じことを考えていた。

そうだ。
この人はお医者様で、私は患者。
変に意識する必要はない。うん。


こちらへどうぞ、と促され、治療台にあがる。


……わぁ。


目の前は一面ガラス張り。
歯科医院の建物は、道路より一段高い場所に建っているから、風景を見下ろす格好になる。
夜だから何も見えないけど、昼間だったら、田舎ののどかな里山風景が望めるのだろう。

「あの後と昨日今日、痛みは大丈夫でした?」

椎名が、マスクをつけながら先生口調できいてきた。
その方がこちらも助かる。

「はい」

「奥歯の痛みですね。特に左側。起床時の痛みがひどい、と。歯医者に来るのは小学生の時以来ですか」

問診票を見ながら、言う。

「今日は初回ですので、まずはお口の中全体を診させていただきますね。椅子倒します。リラックスしてください」
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