愛と音の花束を
「壁に向かって手をついてください」
私は言われた通りにする。
「失礼」と、店長が私の肩から背中を確かめるように押していく。
「こんな今日だけの疲れじゃない身体を3分でどうしろというんだあの男」
……独り言に反応する間も無く、肩甲骨のあたりをグリグリされ、思わず「痛っ!」と叫んでしまった。
「そりゃ痛いでしょうとも。3分で魔法をかけろと言われたので手加減しませんから叫ぶなり何なりご自由に」
店長は思っていたよりよくしゃべる人らしい。
それにしてもほんとに容赦なくグリグリしてくる。痛い。気持ちいいけど。
「だいたいあいつ、僕は客だというのに休憩中トイレに並んでいるところを捕まえてバックステージに連れ込んであなたがいつもと弾き方が違うからたぶん後半やばい何とかしろとかありえない」
……え?
「弾き方、違った……?」
「僕は知りませんけどあいつがそう言うんだからそうなんでしょう。
それはさておきこの僕の3分は高いですよ」
「お代、払います……」
息も絶え絶えに申し出ると。
「いえ結構。その代わりこれからもあいつの相手をすること。あいつは特別気に入った相手にはとことんしつこく絡んでくる。僕が10年以上絡まれてるように。あいつの特別は友達の数のうち割合としてはかなり少ないからしつこい友情を分かち合う人はひとりでも多い方がいい」
特別……。気に入った相手……。
壁を向いていてよかった。
口元が緩んでしまう。
現金だな、私。
その時、肩のツボを指でぎゅっと押された。またも激痛に声をあげた。
その後、腕をブラブラさせられたり、さすられたりトントンされたり。
「アンコールはあるんですか」
「いいえ」
「そう。魔法は1時間。グレートの最中は大丈夫。ただ、その後は保証しかねます」
「それで構いません」
後のことはどうでもいい。
本番さえ乗り切れれば。
「終わりです」
と、背中をバシっと叩かれた。
腕時計を見ると、ちょうど3分がたっていた。
……うわ。何これ。上半身のだるさがなくなってる。
肩も腕も軽い。
彼の方を向き直り、「すごいです。ありがとうございました」と頭を下げる。
彼はそっぽを向いて、「重ね重ね、高いですからね」と捨て台詞を残し、去っていった。