愛と音の花束を
練習終了後、椎名が私の譜面を見ながら、自分の楽譜へ今日の注意事項を書き込んだりしている間に、周りの席には人がいなくなった。
そして部屋全体はざわざわしてるから、小さな声の会話は目立たない。
ええと。これはチャンス?
こういうことはタイミングと勢いだ。
「あの」
「あ、待たせてごめん。写し終わったら結花ちゃんのところに楽譜持っていくから先に楽器片付けてていいよ」
「……ううん、ゆっくりでいいよ」
彼の鉛筆を握る大きな手を眺める。
……この手で、恋人に触れるんだ。
そう思うと、胸がズシンと重くなる。
バカか私は。
それよりも何よりも、『おめでとう』だ。
言ってしまえば、むしろ楽になるはずだ。
今度こそ吹っ切れる。
「よし、終了。ありがと」
こちらを向いた椎名とバチっと目が合ってしまって、思わずたじろぐ。
「えっと、あのね」
「ん?」
…………だめだ。言えない。
「あの、『動物の謝肉祭』はファースト・セカンド、どっち?」
私の唐突な質問に、椎名が少し戸惑ったのがわかった。
ほんとに情けない。
「……えっと、ファーストだけど……」
「そっか。……初ファーストだね。高音のメロディはやっぱり楽しいでしょう?」
無理矢理言葉をつなぐ私に、椎名は戸惑った表情のまま。
「……うん、まあ」
ああ、もう、申し訳ない。
ちょうどその時、パイプ椅子を片付け始める音が聞こえた。
私は立ち上がった。
「客席で聴くの、楽しみにしてる。頑張って」
「ありがと。頑張る」
微妙な表情の椎名を残して、私はその場から逃げた。