愛と音の花束を
5
「椎名君が来たらさ、ここはもうぎゅーっとしといた方がよくない?」
終演後のホワイエの片隅で、環奈が言った。
ホワイエにはまだ団員の知り合いのお客様が大勢残っている。
「何バカなことを……」
私はため息をつきながら冷たい目で睨んでやった。
「だって、椎名君のピアノ、ものすごい破壊力だったよ? 音楽好きな女子だったら、いや、音楽好きじゃなくても、かなりの確率で惚れるよ? この男は私のだ!って見せつけておいた方がよろしいかと」
……そう言われると……。
……そりゃ、かっこよかったと思うわよ。
客席からここへ来るまでの間、「ピアニスト超かっこよかった!」と言ってる女性を何人も見たわよ。
それにぎゅーっとしたいとは思うわよ。
でも。
「人前でそんなことできません」
「人前だっていうのに元彼の胸で泣いたのは誰よ」
「このっ……‼︎ ……友達なくすよ⁉︎」
環奈は肩をすくめ、ペロリと舌を出した。
そんなやりとりをしている私達の前を、三神君と、早瀬先生と、早瀬先生の旦那さんと、以前那智が“先生”と呼んでいたロマンスグレーの紳士の4人が通り過ぎた。
私達がいる場所の近くの事務室に用事があるらしい。
三神君が中に声をかけると、事務局長が出てきた。
が、ぎょっとした。
いつも偉そうなおじさんが、
ペコペコしている……。
早瀬先生の旦那さんと、ロマンスグレー紳士がそれぞれ事務局長と名刺交換すると、事務局長の腰は一層低くなったように見える。
「いやぁ、お二方のご要望とあらば、我々自慢のホールでのスタインウェイの響きを存分にお確かめ下さい!」
ふぅん。ピアノの試奏でもするのかな?
あ。
那智がロマンスグレー紳士のことを“先生”って呼んでたのは、もしかして“ピアノの先生”ってこと?