愛と音の花束を
「あと5分で替えられる?」

指揮者は、別室でコンマスや団長と話している。
練習開始まで時間はない。

「あー、っと……」

動揺してるな。
確かにいきなり弦が切れて顔に当たるのは痛いというより、びっくりする。

「私がやる。楽器と替えの弦貸して」

「あ、はい……」

椎名のヴァイオリンを受け取る。

切れた弦を外そうとして驚いた。

指板に、4本の弦の痕がくっきりとついているのだ。

指板とは、弦が張られている下の黒い板の部分、というとイメージしていただけるだろうか。
指で弦を押さえると、指板に弦が擦り付けられる。
そこに痕がつくのは、それほど弾き込んでいるということだ。

……何だろう、胸がつまった。

……何でこの男はここまでするんだろう。

あ、だめだ。これは今考えるべきことじゃない。
慌てて感傷的な気分を振り払う。

椎名から新しい弦を受け取り、手早く張り、はじきながらペグを回していく。

「弓貸して」

「はい」

チューナーでA線を確認する。

うわ、軽く弾いただけなのに、楽器がよく鳴る。

AとEの2本を同時に弾きながら、アジャスターでE線を調整する。

よし。完了。

神妙な顔つきで立っている椎名にヴァイオリンと弓を返す。

「いい楽器だね」

「あ、はい。先生のツテで安く買うことができて」

「よく鳴る」

「鳴る楽器選んでもらいました」

「かなり弾き込んでるからだと思う」

「え……」

「褒めてる。弦、変えたばかりだと伸びて狂いやすいから気をつけて」

私はそう言って、席に戻った。


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