水没少女
呼吸
暗くて冷たい水底へと熱帯魚という私は沈んでゆくのです。ぶくぶくと泡を出しながら沈んでゆく私はもがく事も抗う事も泳ぐ事もしないのです。だってもっとずっと深い場所に私の大好きな人は、いるのですから。
沈んでゆく私は夢を見ます。大好きな大好きなあの人の夢です。そしてそっと遠く離れていく水面に手を伸ばします。呼吸を出来ない苦しさに泡はぶくぶく上に上がるのですが、その残酷さが何故か心地よいと思ってしまいます。
すると私の手を強く掴む何かがありました。あまりの強さに痛くて、それよりも恐くて逃げ出したくなってもそんなことは出来ません。そしてその手は私の手を掴んで引き上げるのです。ブルーの海から灰色の空へと…。
「目が覚めましたか?」
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
確かに私の心臓の動きを表した機械音。私が目を覚ますと細められた目と目が合いました。閉められたカーテンの隙間から零れる暖かい陽射を受けて椅子に腰掛けベッドに肘をついて優しく私を見ているのは間違いなく私の大好きな人です。
「先生」
寝ぼけた私がそう呼べば、先生は苦笑しながらポン、ポンと二、三回私の頭に手を置いてくれました。良い夢は見れましたか?、と。
先生は私の主治医です。先生は実年齢よりずっと若くかっこよく見えますが医療のプロフェッショナルだそうで、先生なら難しい私の病気も治してくれるだろうと、お父さんが雇ったのだそうです。
この冷たくて暗いブルーの清潔な水槽の中から出られない私が初めて出会った人間が先生でした。優しくて楽しい先生を私は直ぐに大好きになりました。だけど先生の好きと他の人への好きは少しだけ違う事を私は秘密にしています。だってきっと先生は困ってしまうからです。