嘘つきの世界で、たったひとつの希望。
「じゃあね」


家に着いた瞬間にキミに背を向けるけれど。
繋がれたままの手は離して貰えなかった。
キミが何を考えているかなんて容易に分かる。
私を心配しているのだろう。
だけど、キミの方を振り向く事も出来ないんだ。


「和葉」


少し低い声。
いつもと何ひとつ変わらないけれど。
私の胸はズキンと痛んだ。
これ以上、正輝の声を聞いていたら、また泣き崩れてしまう気がした。

誰の前でも泣いてこなかったのに。
キミの前だと、自分でも呆れるくらいに涙が出てくる。

そんな弱い自分をもう見たくなくて。
正輝の腕を振り払おうとするけれど。
何度力を籠めたってキミの手が離れる事はなかった。


「なに……何なのよ……」


情けない声が口から零れ落ちる。
早く離して欲しいのに、この温もりが消えて欲しくない。
そんな矛盾だらけの想いを押し殺してポツリと言葉を放つ。


「大丈夫だから……だから放って……」


“放って置いて”

その言葉が私の口から出る事はなかった。

走った訳でもないのに。
ドクン、ドクン、と騒ぎ立てる心臓。

それが邪魔をして声すら出せずにいた。

視界には遮る物なんて何もない。
なのに前に進む事も出来ない。

背中から感じる温もりが。
お腹に回る手が。

私の行く手を阻んでいるんだ。

そして、何より。


「アンタって本当に馬鹿だね」


哀しそうな声を出すキミに囚われて動く事すら出来ないんだ。
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