ひるなかの一等星
街の案内は想像より大変だった。
ただ案内するだけならまだしも、日吉くんはすぐあちこちに気が向いて足を止める。
「ねぇねぇ、あれは?」
「えっ、あれ本屋なの!?大きくない!?何階建て!?」
いちいち答えるのが面倒くさくて、終盤は私も大駕も質問を軽く受け流すようになっていた。
「ねぇねぇ。真希ってば!」
「今度は何······?」
腕を引かれて、半ばうんざりしながら振り返ると、日吉くんは何かを見つめて立ち止まっていた。
「?」
視線の先にあるのは、小さなケーキ屋。
「あのお店が何?」
「お腹減ったね」
「は?」
日吉くんは私の手をとって、一直線にお店へ歩き出した。ワンテンポ遅れて大駕もついてくる。
「急にどうした??」
「ケーキ食べよう」
日吉くんは勝手に決めて、私の手を握ったままお店へ入ってしまった。

「······」
問答無用でテーブルに座らされた私と大駕は、互いに困って顔を見合わせていた。
「急に何······?」
「さぁ······」
日吉くんは一人でケーキを取りに行った。
私にとっては、昔から馴染みのあるケーキ屋だ。小さい頃、よく父が買って帰ってきた。
(······嫌な記憶)
フラッシュバックする赤、むせかえる臭い。私は目を閉じて深呼吸をした。
「······真希、大丈夫か?」
大駕が心配してくれる。
「大丈夫だよ」
大駕は私のことを知っている。幼なじみだから。
でもこの父がここのケーキをよく買っていたことは知らない。
あの日の、忘れられない甘い香りと、映像を、知らない。
私は笑顔を作って、壁に掛けられた時計を見やった。もうすぐ18時。帰ったらすぐ夜ご飯にしないとな。なんて考えていると、日吉くんが大きなお皿を持って帰ってきた。
「おまたせー!はい、どうぞ」
「······え?」
皿に盛られていたのは、三つのケーキ。焼き色の綺麗なチーズケーキと、フルーツが沢山乗せられているケーキ、そして、
「これは、真希ちゃんのね」
綺麗な形のホイップクリームの上に大きなイチゴが乗った、ショートケーキ。
「······ッ」
こみ上げてきた胃酸に、私は思わず立ち上がり、急いでテーブルを離れる。
「真希!?」
返事をしている暇なんてない。
私はトイレへ駆け込んで、便器の前に膝をついた。
「······ッう━━」
胃酸だけが溢れてくる。苦しさに涙が出て、嗚咽が漏れた。
「······ッ、ッッ······」
声に、ならない。
私は数分間そのまま便器を汚し続け、外から声をかけられてから、震える膝を伸ばした。
蛇口で口をすすぐ。
「真希。大丈夫か······?」
「······うん」
私はドアを開けて、そこに立っていた大駕を見上げた。
「お前······」
「ごめん」
私は大駕の脇をすり抜けて席に戻り、鞄を取った。
「真希ちゃん······?」
「ごめんね、日吉くん」
彼は驚いた顔で私を見ている。
「私、甘いもの嫌いなの」
今日はもう帰るね。そう言って、私は店を出た。
「真希!!」
大駕の声に足を止める余裕はない。
店から離れても甘い匂いが鼻につく。
(嫌だ······嫌だ······嫌だ······!)
家までの道をなりふり構わず走り、玄関の扉を閉めた瞬間、私は足の力が抜けてその場に座り込んだ。
震える肩をかき抱いてうずくまる。
幻影が見える。軋む音が聞こえる。
(やめて······やめて······っ)
「······嫌······」
荒くなる呼吸音だけが、静かな家の中に響いていた。
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