【短編】ゆりゆり【百合】
途切れ途切れで覚えてることはあるのだが、家庭での記憶がごっそり抜けている。
ただ、何も知らずにレイプされたことと、それがレイプだとわかったときのことだけは覚えている。
たぶん私は、それのせいで男嫌いになってしまったのだと思う。
そのへんは、当の自分でもよくわかっていない。
医師から記憶を失ったところは記憶としてきちんと脳の中にある、そして治療をすれば思い出すことができると言われた。
でも私にとって失われた記憶は、きっと最初から不要だった記憶で、これっぽっちも思い出したくはなかった。
「きーちゃん」
海斗は優しい声音で私に語りかける。
「俺やっぱりきーちゃんのそばにいるよ、きーちゃんを守れるのは俺だけだ」
海斗は言いながら一人納得して、私が入る余地もなく一人で問題を解決してしまった。
「私に海斗は必要ないよ」
「寂しくなったらいつでも連絡して」
海斗はそう言って、私を抱きしめると、私の濡れた髪を触って、申し訳なさそうに「ごめんね」と謝ってキスをした。
私はその瞬間、突然の吐き気に襲われた。
今までは海斗となら大丈夫だったが、海斗にも拒絶反応が出てしまった。
「ごめん」
私はそう言ってから、急いでトイレへ向かった。
一通り吐き終えても、もう吐くものはないのにまだ吐き気がする。
「ねえ、その吐き気ってもしかして…」
トイレのドアの向こうから海斗の声がした。
「まさかとは思うけど、つわり?」
「まさか」
思わず声が出た。
そんなわけないだろう。
そもそもこのタイミングでつわりがくるようなときに、海斗と会ってないし、情事だってここ一年はしてない。
呑気すぎるのか、気付かぬふりをしているのか、海斗は子供の名前はどうしようか、などと勝手に話を進めている。
私は、海斗との恋人関係が終わる日も近いと確信した。