クールな御曹司と愛され政略結婚
申し出を蹴散らす言葉を考えたんだけれど思いつかず、「乗せてくれてありがとう」と当たり障りのない挨拶をした。

私の心なんてお見通しって顔で一樹先輩は微笑み、ひらひらと手を振ると、目立つ車を悠然と乗りこなし、都心の道を去っていった。


どうして一言、言えなかったんだろう。

きつくなんかない、って。



 * * * 



『テックスカウトも問題なしだ。明日クライアントと合流したら、宿を変えて衣装チェックだな。クライアントのフォロー頼む』

「うん、さっきスケジュールを確認し合ったところ」



週明け、毎日のように灯から来る連絡を、社内の空いたスペースでPCを叩きながら聞いた。

こうして灯だけが撮影現場に行く場合、口頭で聞いた報告を、私が手元でざくざくと資料にまとめてしまうのが常だ。

現地の記録写真もほとんど整理されないまま、ガンガン送られてくる。

こういうものの処理は後で絶対必要になるものの、現地にいるとなかなか手をつけづらく、時間も取られる。

私がそれを引き受けることで、灯を現場に集中させることができる。



『お前のほうは問題ないか?』

「大丈夫、あのね」

『ん?』

「言い忘れてたんだけど、この間、一樹先輩に会った、たまたま」



灯が沈黙した。

風の音が聞こえる。

もう向こうは夜で、ホテルに帰っていてもいい時間なのに、まだ外で調整や打ち合わせをしているんだろう。



『…なに話した?』

「ゼロのこととか。帰ってきたら教えてあげる」

『もったいつけてないで、今話せよ』

「撮影に集中してほしいから、帰ってきてからね」



なにかの物音の後に、カチンという音が聞こえたので、笑ってしまった。

イライラして、煙草を吸いはじめたのだ。

灯はこういうところ、けっこう待てないほうで、短気なのだ。
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