声にできない“アイシテル”
 どう答えようか悩んだけど、とりあえず名前についてはうなずいた。

“確かに彼は桜井 晃さんだよ。
 一度しか会ってないのに、よく覚えてたね”

「記憶力はわりといいんだ。
 でも、彼にはずいぶん前にチラッと紹介されただけだったから。
 正直、自信なかった」

 お兄ちゃんがほっと胸をなでおろす。

「よかった。
 これでどうにかなりそうだ」

“どういうこと?”

「うん・・・。
 実は彼、記憶喪失なんだ」


“えっ!?”

―――き・・・おく、そうし・・・つ?



「昨日、テロがあったバスに乗っていたらしい。
 彼は一番後ろの席で、とっさに座席の下に身を隠したから、それほど被害は受けなかったようだ。
 ただ、頭を強く打ったみたいで」


“そう・・・”

―――だから、アキ君は私を見ても驚かなかったんだ。


 さっき呼び止めようとしたのは、突然私が出て行こうとしたからで。

『大野 チカ』と分かっていたからじゃなかったんだ。


 がっかりしたような。

 それでいてほっとしたような。


 すごく複雑。
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