黒胡椒もお砂糖も
洗面所からの戻りで、隣の男性営業部のドアが開けっ放しなのが見えた。
つい横目で見てしまった個人成績グラフ。壁に貼ってある特大のそれの、やたらと長い棒線は先ほどの平林さんのだろう。そしてもう一つぐぐーっと伸びた棒線は、高田さんの。
もうすでに二人はあれだけ契約を入れてるのか・・・。
平林さんはともかく、高田さんはあれだけ無愛想で無口なのに、一体どうやって契約を貰っているのだ!是非聞きたいが、人と交わらないようにしている私にそんな情報をくれる人もいない。
また重いため息が出そうになって、慌てて口を閉めた。今日くらいは明るい気分でいようよ、私!
他人を気にしても仕方がない。一人暮らしの私は自分の食い扶持を稼がなくてはならないのだから。
1年半前の春、私は突然、日常の全てを失った。
その時まで順調にきていると思っていた何もかもが、フェイクだったと判った。
世界は私だけを置いて、急速に遠ざかりつつあったのだ。
私が知らなかっただけで。
まず、夫に別れを切り出された。
「ごめんな、他に好きな人が出来たんだ」
もうすぐくる結婚記念日を前に、私は5回目のその日をお祝いするために、サプライズでプレゼントも用意していたんだった。
「え?」
わけが判らず笑顔で振り返った私に、見たこともないような真面目な顔で彼が言ったのだ。
「離婚してくれ」