さよなら、世界
「どうでもいいから、さっさと行け」
「う、うん」
いらない紙袋を敷いてその上にスニーカーを置き、足を突っ込んだ。しゃがみこんでいた遊馬が屋根に下り、私に両手を差し出す。
窓の桟に足をかけて、遊馬の手を取った。あたたかくて湿った体温が溶けるように伝わってくる。振り返ると、七都と目が合った。
いつも無口だった二重の目が、ふっと崩れる。はじめて見た優しげな色に、胸が詰まった。
「七都……」
「一時間以内に帰ってこいよ」
「うん……」
ありがとう。
気恥ずかしくてまだ口にできないけど、いつか絶対に言おう。そう決心して、私は窓から一階の屋根に降り立った。
遊馬が選ぶ道筋通りに慎重に足を運んで、木の枝につかまりながら石塀まで渡った。先に地面に着地した遊馬が、両手を広げる。
「飛んで。受け止めるから」
石塀は遊馬の身長よりもわずかに高い。運動神経がよくない私からしたら、相当な高さに感じられる。それなのに、恐怖心はなかった。
外灯の光を映した遊馬の目が、まっすぐ私を見上げている。羽のように広げられた両手に向かって、私は飛んだ。
軽い衝撃と同時に、湿った夏の匂いが立ちのぼる。私を支えようと腰に回された大きな手と、遊馬の首に回した私の手。抱き合うような格好からずり落ちていき、地面につま先がつく。
「大丈夫?」
「うん、平気」
手を離すと、彼はにっと白い歯を見せた。
「飛べたじゃん」
「うん……でも、私ひとりで飛んだわけじゃないし」
遊馬が手を広げてくれたから、飛び降りることができた。自分ひとりだったら、決心がつかなくてもっとぐずぐずしていたに違いない。
自分で思っていた以上に、私は彼を信頼しているのだと思った。自分を預けられるくらいに。
「一歩だよ一歩。何事も一歩ずつ進めばいい」
「さ、行こう」と行って、彼は私の手を取る。
花火の音はずっと続いていた。外灯の届かない暗闇で、星が光る。
夜空が、とても広く見える。