さよなら、世界
その日僕に起きた奇跡をひとつ挙げるなら、朝、母親から渡された弁当の包みに、大判の絆創膏が誤って紛れ込んでいたことだろう。
そそっかしい我が家の母親は、いったい何年主婦をやってるんだと問いただしたくなるほどしょっちゅう怪我をしている。足の上に物を落としたり、包丁で指を切ったり。
注意力散漫を絵に描いたような人だけど、病院に行くほどの大けがをしないことだけは救いだった。そんなわけで、わが家では家の至る所に絆創膏が置かれているのだ。弁当包みに誤って紛れてしまうくらいに。
一年次の高校生活に早々と見切りをつけたせいで、僕は重大なことに気付かなかった。つまり、女子トイレの窓から突き出ていた彼女が、僕と同じクラスだったということに。
すらりと長い手足に長くてきれいな黒髪。そして端正な顔。彼女はとても目立つ。見た目もそうだし、発言も堂々としている。
僕たちの年代では、周りにいかにうまく溶け込むかが無難な高校生活を送る鍵となる。あまり自分を持ちすぎていると、周囲に合わせようと神経をとがらせている連中から疎まれたり、要領よく過ごしているやつらから馬鹿にされたりする。
彼女も御多分に漏れず孤立していた。彼女の場合は、足を引っ張られることが多い、といったほうが正しいかもしれない。
ノートを集める係りになれば、わざと提出しないヤツが現れ、前から順番にプリントが配布されれば、いちばん後ろの彼女に回さないヤツが現れる。
体育でペアを組むときは常にひとりだし、移動教室から教室に戻れば、机に花瓶が置かれている。
彼女はたしかに闘っているらしかった。そしてどんな嫌がらせを受けても、決して屈しない。常に前を向き、堂々としている。
しかし、さすがに人目につかない裏庭に連れてこられたときは焦ったに違いない。