さよなら、世界
「弁当だよ」
「え?」
「昼休みに、友達とふざけながら廊下の窓枠に両足かけて腕立て伏せをしてたわけ」
「え、何の話?」
私の質問には答えず、風に抗うように彼は声を張り上げる。
「一応筋トレのつもりでね。授業中も教科書めくりながら机の下でこっそりダンベル持ち上げたりしてて。意外と努力してるんですよ俺」
「はあ」と相槌を打つと、彼の声がかすかに笑った。
「まあ、そしたら上靴がかたっぽ脱げて窓の下に落っこったと。あわてて拾いに行ったら女の子がひとりで飯食ってて。その弁当袋にご丁寧に名前がぶらさがっていたというわけです」
あっと思った。ランチバッグにぶらさげているキーホルダーは、小学生のとき忘れ物が多い私に母が買ってくれたものだった。
「私、ひとりじゃなかったけど」
「え、そうなの? 気付かなかった。ボッチ飯してる子って印象だったよ」
あはは、と笑う。背中しか見えないけれど、きっと顔いっぱいで楽しそうに笑っているのだろうと思った。
倉田遊馬も渡辺マリコも、とても健康的で濁りのない笑い方をする。気持ちを引っ張られてしまうような笑顔は、どうしようもなく眩しくて、触れたいのに届かない。雨の日の太陽と同じだ。
「遊馬……先輩って、悩みとかあるの?」
「なにそれ心外! 俺がなにも考えてない人間に見える?」
「……わりと」
「ふがあ!」と奇声をあげて、彼はペダルを踏み込む。
自転車が大きく揺れて、とっさに目の前の背中にしがみついた。
「しっかりつかまってて」
車体が前に傾いて、顔がシャツに押し付けられそうになる。急な坂道を、二人乗りの自転車は猛スピードで下りていく。頬を切り裂くような風に、悲鳴がこぼれた。