さよなら、世界
倉田遊馬は目を細めた。
「覚えてたんだ?」
「なんだか、印象に残ったから」
吸い込まれそうなほど黒く澄んだ彼の瞳から視線を外し、私は沈みかけた街の灯を思い返す。
《自分の限界は超えるな》
《自分の可能性を信じろ!》
公園の見晴台で聞かされたふた言は、格闘技やスポ根漫画で目にしそうな言葉だけど、よくよく考えると意味合いが相反するようにも思える。倉田遊馬はにっと唇の端を持ち上げた。
「俺が尊敬するトレーサーの言葉なんだけど。あ、トレーサーってのはパルクールの実践者って意味ね」と前置きをして、彼は続ける。
「パルクールは、自分の精神と肉体をコントロールするトレーニングカルチャーだから、恐怖心を制することで、高いところから飛び降りたり、手すりを飛び超えたりできるんだよ」
自転車を片手で支え、握力を確かめるようにもう一方の手を握ったり開いたりする。指先の動きに合わせて、腕に硬そうな筋があらわれた。細く見えるのにしっかりと筋肉がついていて、自分の腕とつい見比べてしまう。
「でもそのためには筋力やバランス感覚を鍛えて、自分が今どの程度の障害なら越えられるかってことを把握しなきゃいけない。高所から飛べば着地時に何トンっていう衝撃がかかるから、見誤ったら怪我は免れないし。そうならないために、自分が今できる範囲を知っておくことが大事なわけ。限界を超えないように自分でちゃんと調整する必要があるんだ」
自分の限界を超えることと、身体能力の向上をはかることは違うのだと、彼は言う。
「あくまで自分と向き合うことが大事だから」
「そして、自分の可能性を信じること?」
私が言葉を挟むと、彼は破顔した。