さよなら、世界
「瑞穂!」
遠くからぶつけられた怒声に、反射的に足がすくんだ。家の前に立っていた理香子さんが、大股で近づいてくる。
「遅いじゃないの! いったいどこで油売ってたのよ!」
腕を掴まれて強引に引きずられた。身体が縮こまる。目を丸めている遊馬が見えて、全身が沸騰しそうになる。
「学校終わったらすぐ帰るようにって、いつも言ってるでしょ! まったくあんたはホントに――」
やめて、やめて、やめて――
理香子さんの怒声が響きわたる。いつも近所を気にして外では声を荒らげたりしないのに、今日はお酒の匂いがする。
「あの、すみません、俺が――」
自転車を引きずって駆け寄ってきた倉田遊馬を、理香子さんは据わった目で見る。それから今はじめて人がいたことに気づいたように、歪んだ笑みを浮かべた。
「あら、学校のかた? ごめんなさいねぇ、この子がご迷惑おかけしたんでしょう? うちでよく言い聞かせておきますから」
遊馬はぽかんと口をあけて立ち尽くす。
「それじゃあ、失礼しますね」と頭を下げながら、理香子さんは私を玄関に押し込んだ。
重い音を立てて扉が閉まったとたん視界が濁る。しばらく風を通していない廊下は空気がどんよりしている。
後ろから突き飛ばされて、私は床に手をついた。カバンが落ち、ポケットに入れていた携帯が飛び出す。
「あんたは何にもわかってないのね」
理香子さんの低い声は、感情が「怒り」のほうに振り切れた証拠だった。雷のようにしばらくはごろごろと不穏な音だけを響かせて雲の中に滞留し、こちらにはわからないタイミングで突然エネルギーを放出する。