さよなら、世界
* * *
すっかり緑に覆われた桜が、顔の上で木漏れ日を躍らせる。
上空では風が吹き荒れているようだった。白い雲が、少しずつ形を変えながら競うように泳いでいく。そのなかに穴のあいた雲を見つけた。
穴が三つ逆三角形の位置に並んでいると、なんでもかんでも人の顔に見える。でもそれは私にだけ起こるものではなく、人間の脳が引き起こす錯覚できちんと名前がついている現象らしい。それでも、人間の顔にまで穴があいているように見えるのは、きっと私だけだ。
次々に流れていく雲を眺めながら、穴顔のほうがいいのかもしれない、と思った。
人の顔は、ときどき感情を表に出しすぎる。いつ歪むか知れない顔にこわごわ接しているより、それ以上変化のしようがない穴顔を見ているほうが、心穏やかに過ごせる。
「ようやく見つけた!」
ぱっつん前髪の女子生徒が屋根の上にひょっこり顔を出した。よいしょっと声をあげて、マリがのぼってくる。
「もう、瑞穂ちゃん、休み時間のたびにどっか行っちゃうんだもん」
「よく、ここがわかったね」
寝転がったままつぶやくと、
「勘が冴え渡ってたの。さすが私!」
得意げに言い、彼女は私のとなりに腰を下ろす。その顔は、どことなく嬉しそうだ。
「瑞穂ちゃんもなかなかアクティブじゃない。こんなとこにのぼるなんて」
「……前、ここで昼寝をしてる人を見たから」
倉庫の屋根は桜の枝に隠されていて、寝そべってしまえば校舎の窓から見つけられる心配もない。桜の幹のこぶに足をかけて枝にのぼれば、あとは倉庫の窓を足がかりにして簡単に屋根までのぼれてしまう。
もちろん白昼夢のなかで『僕』が使っていた方法を真似ただけだ。
一度屋根の上に寝転がると、そこは想像以上に居心地のいい場所だった。これからの季節は毛虫や蝉に注意したほうが良さそうではあるけれど。