さよなら、世界


「こんな感じに、ツーハンドヴォルトまでできるといいかな。まずはステップから」

 ヴォルトというのはパルクールの基本的な動作で、手すりくらいの高さのものを飛び越すことをいうらしい。いつだか遊馬が夜の公園を風のように走りながら次々と障害物を飛び越していったことを思い出した。

 手をついて障害物を飛び越えたり、壁を蹴ってのぼったり、手すりなんかの細いレールの上を歩いたり、そういういくつかの技を組み合わせて、パルクールの素早い動きはできあがっているのだという。

「ヴォルトで大事なのは、助走と踏切と着地で――」

 腰までの高さがある柵に片手をついて足をあげる練習を何度も繰り返す。

 手が滑ったり、足がひっかかったり、ひやりとする場面が何度もあって、そのたびに恐怖を感じた。地面に頭から落ちるかもしれない、膝を強く打つかもしれない。そう思うと、身体が固まって足が上がらない。

 広場では子どもたちが走り回ったり、アスレチック遊具によじ登ったりして楽しげに声を上げていた。こわごわ階段を上ろうとする女の子をそばで支える父親、それを眺めて微笑む母親。あちこちに、同じような光景が広がっている。

 絵に描いたような休日家族の正しい過ごし方、だ。

 滑り台を勢いよく下りた男の子が嬉しそうに両手を上げて「ママ―」と母親のもとへ駆けていく。

 汗ばんだ身体の内側を、ふいに冷たいものが下りた。

「できるのかな、私」

 ベンチで腹筋をしていた遊馬が、動きを止めて私を見る。視線を合わせられず、私はうつむいた。

「もともと運動神経もよくないし、先輩みたいな動きを、私ができるとは思えない」

 声がすぼまった。自分で口にしておいて、急に恥かしくなった。

 こんなのまるっきり言い訳だ。みるみる火照っていく頬を見られたくなくて背中を向け、私は誤魔化すように言う。

「け、怪我するかもって思うと、どうしても恐くて」

< 94 / 159 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop