さよなら、世界
「恐怖心はなくならないよ。だから、コントロールするしかない」
遊馬がベンチを立ち、私のすぐ横に来る。
「飛ぶ前に、すべらない場所をしっかり確認する。手は最後まで残して、両足が抜けてから障害物を押して離れる。基本を押さえて練習あるのみ」
振り返ると、真剣な表情が目に入った。
オレンジ色に髪を染め垢抜けた雰囲気を持つ彼は、七都が言ったように見ようによっては軽く見えるのかもしれない。でも実際は、パルクールに関してはもちろん、ほかの物事においても真面目で律儀な性格をしている。私のお弁当をダメにしてしまったことを、いまだに気にしているくらい。
ふと、頭の中に誰かの言葉が再生された。
一番大切なことは、目に見えない――
「自分を信じられないのは、信じられるだけの根拠がないからだよ」
遊馬は右腕を折り曲げて力こぶをつくった。
「筋肉は嘘をつかない」
いかめしい顔で言ったあと、ぎろりと私を見る。
「それに、俺と同じ動きをしようなんざ五年早いわ!」
彼は握りしめた右手を私に向かって振りかぶった。とっさに目をつぶると、額に痛みが走る。
「いた……」
「言ったじゃん。限界を超える必要はないんだよ。自分の身体と相談して、できることから少しずつやればいい」
私にデコピンをして、彼はいたずらっぽく笑う。
「大丈夫だよ、ミズホちゃんなら」
遊馬の言葉が、私の貧弱な心臓を何重にも包んでいくみたいだった。分厚く強化されて、気持ちが前を向いていく。
不思議だ。出会ってからの日は浅いのに、彼の言葉はどうしてこんなにも響くのだろう。
「少しずつでも踏み出せば、何かは変わる。進み続ければ、確実に変化は起きる」
遊馬は笑って「さあ、地道に練習!」と私の背中を叩いた。