銀木犀が咲く頃に
あの日以来私の学校へと向かう足取りは余計に重くなった。

けれど慧斗と同じ高校に行く、その為にはちゃんと登校しなくちゃ。
そんな思いで私は毎朝鉄のように重く冷たい心をひきづるように学校へ向かった。

クラスの中心である女子達の好奇の目はあの日以来なおさらに強くなっている。
人の目なんて気にしないで。自分らしく。なんて偉人の名言はよく聞くが、それは本当に幻想的だと思う。
自分のすぐ近くで敵意がむき出しにされているというのに、それを気にしない、なんてできるはずがない。
どんなに修行を積んだお坊さんだってそんな場所で精神統一したらできるはずがないんだ。

そんなことを思いながら私は机の中から一冊の本を取り出した。
何回も何回も読んだ、大好きな花言葉の本。
付箋が貼ってあるページをそっと開く。
『銀木犀』
その言葉を見るとふっと笑みがこぼれかける。

小さい頃慧斗に花言葉を聞かれたけれどわからなかった、その言葉を見つめてーー。

あの頃は気づかなかったけれど、今ならわかる気がするその言葉。
声にだして形にしたら慧斗はなんていうんだろう。
きっといつもみたく笑うよね。

『千﨑さんいつもあの本見てニヤけてるよね』
『キモイんだけど』
ふと耳にはいってきたそんな声に一気に現実に引き戻される。
言葉にされなくたって聞こえてくる自分に対する様々な声たち。
それが形にれたらどんな囁き声だって聞こえてしまうに決まっている。

これ以上縮こめられないくらいに背を丸くして、はやくこの時間が終わってほしいと、私は切に願った。



昼休み。
「みーお!」
教室にいるとやはり息苦しく、そこから逃げるように私は図書室にやってきていた。
図書室にある花言葉の本は全て読破済みで、次にどれを読み返そうかと物色しているところだった。
のだが・・・・・・。

「澪は花言葉好きだね~。ほんと」
私よりも頭一つ分大きい慧斗が、私が手にとろうとしていた本をヒョイととって手渡してくる。
背が高いことを自慢されているようでなんだかムッとする。
子供の頃は私と同じ、ううん、むしろ低かったくらいなのに、いつの間にこんなに大きくなったんだろう。
常に隣にいると緩やかな変化には気づきにくい。
「ありがと」
ちょっと怒ったような口調でそういうと慧斗はクスクスと笑った。
「なに怒ってるの?花言葉女王の澪ちゃん」
「変なあだ名つけないでよ。それよりなに?なんでここにいるの?」
そういってからカウンターにいる図書委員の子の険しい視線とふいにかちあって後半は囁くような声でいう。
「次数学なんだけど教科書忘れちゃったみたいでさ。貸してくんない?お願い、澪!」
「別にいいけど・・・・・・」
私の机に入ってるだろうから勝手に取ってって、そう続けようとするが慌てて
「私がとってくるから、ちょっとここで待ってて」
という。
慧斗が私の机の中から教科書をとってるのを見たら悪い噂がたちかねない。
既に私と一緒にいることで沢山迷惑をかけているのにこれ以上は迷惑かけられない。
これ以上、慧斗を私のせいでーー。

「澪」
図書室をでて階段の方へ歩きだそうとすると慧斗に手首を掴まれた。
こんなところだって、あの女子達に見られたらたちまち悪い噂になって広まりかねない。
慌ててその手を引き離す。

怖いんだ。自分の大切な人が自分のせいで傷つくのは。

「ご、ごめん」
少し強くやりすぎた、そう思って慧斗を見やると慧斗の顔には恐怖と悲しげの入り混じったような微笑が浮かんでいた。
けれど、それも一瞬のこと。
すぐにいつもの明るい笑顔があらわれる。

けれど私の脳裏からは慧斗のあの表情がくっついて離れない。
小さい頃から何度も見てきたその表情は、すべて私の不注意のせいで浮かべているものだ。
なんで私はこんなにも気が利かないんだろう。
慧斗は母親のこともあって突き放されるような行為は怖くて仕方ないのに。

「べっつに~。それよか、澪、痩せた?」
「は?・・・・・・」
「だって」
そういうと私の手首を持ち上げる慧斗。
「前より断然細くなってる」
「そうかな」
なんだろ。痩せたと言われても嬉しくない。
まあ、それもそのはずか。
最近は食事もなかなかのどを通らないから。
ダイエットを頑張った結果がこれだとしたら慧斗に痩せたと言われたことを手放しに喜べただろうに。

「・・・・・・とにかく、私、教科書とってくるから」
「だから、それなら俺も行くって」
「いいよ、来なくて。一人で行けるしそれにまだ本借りてないからどっちにしろここ来るし、急ぐから」
精一杯に言い訳を重ねる。
それなのに
「ふーん。じゃ、俺も行くわ」
そうやって重ねた言い訳すら簡単に取り払って歩み寄ってくる。

ホントはダメだって分かってる。

けど、もう少しだけこの現状に甘えてもいいのだろうか。

慧斗といると、私の決意なんて風の前の塵と同じだ。簡単に崩れ去ってしまう。

「・・・・・・じゃあ、行こう」
教科書を貸すのなんて一瞬だし、すぐ終わる。きっと、大丈夫。



「お、また花言葉の本」
数学の教科書をだすために一番上にあった本を机におくとそれをヒョイと取り上げようとする慧斗。
私は慌ててその本を取り上げ脇に抱えた。
というのも、付箋が貼ってあるページを見られたくはなかったから。
いつの日か慧斗にその花の花言葉を教えてくれと頼まれたけれど、それはまだ、もう少し先でいい気がする。
「ちぇー。澪のケチ」
「教科書貸してあげるんだから、とやかく言わない」
「・・・・・・あのさ、澪」
「なに」
「なんでそんな小声で喋ってんの」
そう言われてハッとして慧斗を見やると、その肩越しにこちらを見てヒソヒソと話す女子の姿を見つけて慌てて視線を下に戻す。
怖い。なんて言われてるの?慧斗が私と一緒にいるから悪く言ってるの?
そんなふうに思うと会話の内容も聞かれたくなくて、つい小声になってしまう。
「おい、澪!」
バンッ
慧斗は唐突に机の端と端を叩くとそのままそこを掴むようにしてこちらを見据えた。
「な、なに」
机の中を探っていた手を止めて慧斗を見る。
慧斗があまりにも近くなったから、肩越しに見えていた女子達は慧斗の姿で見えなくなった。
「だから、なんなのよ!」
何も答えずにただこちらを見据えてくるのでつい大きな声でそういう。
すると慧斗はニイッと歯を見せて笑った。
「それでいい」
「・・・・・・意味わかんない」
「おう。意味わかんなくて結構、結構」
そんなことをいう慧斗にムッとしながら数学の教科書を手渡す。
「サンキュ、澪。愛してるぜ~」
そうふざけた口調でいいながら教科書を掲げ去っていく慧斗。
「はあ?!何言って」
そこまでいつも通りの、ううん、慧斗といる時の私でいうものの、すぐにクラスの女子達の姿が視界の端にうつり声は自然と小さくなくなりしまいには消えていった。なんだかそのことがやるせなくて俯きながら着席する。
小脇に抱えていた本をそっと机の中に戻すと少しだけ火照った頬を隠すようにうつ伏せになる。
机のひんやりとした感覚を感じながら、ふざけてでもあんな事言うんだもんな・・・・・・。なんて、そんなことを考えていた。
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