あの夏に、会いにいく。
   *   *   *


 ターミナル駅で乗り込んだバスの乗客は終点に近づくにつれて減っていく。いま車内にはしずくとあとふたりしかいない。

 みな目的は同じだろう。時間的に考えても。

 地下鉄の車内からあまり読み進んでいない文庫本を開いたまま、しずくは既に生温くなったペットボトルの緑茶をこくんと飲んだ。
 朝ご飯を食べて来なかったことが、いまになって響いていた。バスに乗る前におにぎりでも菓子パンでも買っておけばよかった。
 そう長くいるわけではないし、用事が済んでからどこかの店に行けばいいと思っていたけれど、空腹はなかなかにしんどい。もう緑茶では誤魔化せない。
 さっきから、眠りから覚めて母親を探す子犬の鳴き声みたいに、きゅうきゅうとお腹が鳴っている。


 ――終点の近くにはお店はなにもないんだよなぁ……。


 改めて「失敗」を自覚する。
 しずくはまた緑茶を飲んだ。滑り落ちていく温い液体がまた空腹を刺激した。きゅうっとお腹の中の子犬が一際大きく鳴いた。
 斜め前のシートに座っていた髪の長い女性がちらっとしずくを見た。

 お腹の音が聞こえたのだろう。
 恥ずかしい。
 恥ずかしくて誤魔化そうとするのに、お腹は遠慮なく鳴り続ける。

 隙なく丁寧にメイクした女性がくすっと笑う。長い睫毛とラメの入ったブルーのアイシャドウがとても綺麗だ。
しずくは思わず肩を竦めた。
 両手でぐうっとお腹を抑えつけて、なだめてみようと思ったけれど、しずくの中の子犬は相当の駄々っ子で、手のひらの強さをすり抜けてきゅううっと鳴く。


 ――ああ、もうやだな。


 しずくはもう一度誤魔化しにもならない緑茶を飲んだ。

「よかったらどうぞ」
「え……っ」

 驚いて顔を上げたら、斜め前の女性が細くて白い腕を伸ばして、小さなバウムクーヘンを差し出していた。

「え、え、あの……っ、えっとっ」

 しずくはテンパってしまって、バウムクーヘンと髪の長い女性を交互に見比べた。
 コンビニでよく売っているありふれたバウムクーヘンなのに、綺麗なひとが持っているとひどくきらきらして見える。美味しそうだと素直に思えるのは、空腹だけのせいではない、と思う。

「もうひとつあるから遠慮しないで。お腹空いてるんでしょう?」
「は、はあ……」

 しずくはまた肩を竦め、身体を縮めた。もともと小柄だけれど、より一層小さくなってしまっていることだろう。

 予定ぎりぎりまで爆睡していて朝ご飯を抜き、だからといってどこかで食べ物を買ってくることもせず、公共交通機関の中でお腹が鳴って……。

 十九歳にもなって計画性がないにもほどがある。
 その恥ずかしさと綺麗な女性から憐れまれた惨めさに、顔から火を噴きそうだ。頬が火照るのに、背筋がひやっとしてしまう。

「この暑いのに食べておかないと持たないわよ」

 やわらかく微笑み、女性は続けて小分けになった可愛らしい包装のミニチョコレートも取り出した。

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