あの夏に、会いにいく。
  *   *   *


「よお」

 グラウンドから出てきた有森誠也は、サインを求めて関係者入口近くに群れていたファンたちから少し離れた場所にいたしずくにすぐに気づいた。
 にやっと笑う。
 見慣れた表情だ。ちょっと皮肉げで、ちょっと寂しそうで。少し尖った優しさもあって。

 高校の頃から――同じ高校に通うただの同窓生から、共犯者になったあの夏から、有森はまったく変わらない。

 近づいていいのかと足を踏み出したら、有森の前にはさっとファンの列ができた。
 平日とはいえ夏休みだ。すぐに十人ほどが並ぶ。
 さすが甲子園で注目されただけはある。プロ二年目の今日までずっと二軍だけれど、いつ来てもそれなりにファンがくっつく。

「ちょい待ってて」

 有森はしずくに軽く手をあげてから、目の前のファンにサインをはじめた。
 どのファンもサインをもらいながら、ひとことふたこと有森に話しかけている。有森はしずくに向けるのとは別人みたいに明るく爽やかな笑顔を浮かべて答える。
 しずくはふっと息を抜くように笑んで、日陰になった壁際に寄った。
 短くなったかと思えば、誰かが並び、列はなかなかなくならない。バスでいっしょになったあの女性は列にはつかず、様子をうかがっていた。
 サインはいらないのだろうか。グッチのものらしきバッグのほかに花柄の小さな紙袋をぶらさげている。

 目が合うと、穏やかに、だが、冷淡に睨まれた。目許はきついのに、口元だけは静かに微笑んでいる。
 ぞっとする。
 バスの中で見たときよりも明らかに般若が色濃くなっていた。

 たぶん、グラウンドから出て来たときの有森としずくのやり取りも見ていた。
 いや、観察していたのだろう。


 ――観察……。


 あっさりとそう思えてしまったことが、とても怖かった。

 ふと、高校時代の最後の半年を思い出す。
 有森が甲子園で騒がれだした途端、校内一の美少女とかいわれている野田美菜が露骨に接近しはじめた。しずくにいやがらせをしていたのは明らかに美菜の取り巻き連中だった。甲子園で活躍したスターの「彼女」には自分こそがぴったりで、有森からもそう言われていると、しずくからすれば露骨な虚偽を触れ回ってもいた。

 有森に限って、そんなことはあり得ないのに。

 美菜やその取り巻きは校内一大勢力だったから、美菜が発端となった噂は瞬く間に広がった。
 それも事実として。

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