あの夏に、会いにいく。
* * *
サインを終え、あの女性から花柄の小さな紙袋を受け取ったら、有森はまたにやっと笑った。
近づいていいということだ。
しずくはととっと有森に駆け寄った。
「暑いのに悪いね」
「だいじょうぶ」
野球用具を掛けた肩とは逆側に並ぶ。有森が自然に歩調をゆるめてくれた。あの夏以降、並んで歩くときの有森はいつもこうだ。
さり気なく優しい。
でも、そこに恋愛感情は介在しない。互いに不甲斐なくて情けない共犯同士だから、どうしても労わり合ってしまうだけなのだ。
今日、しずくがここに来たのだって、そのせいなのだから。
「調子どう?」
「ん、まあまあかな」
有森が小さく首を捻る。口元にはずっと笑みのかけらが貼りついている。
「投げてるの?」
「たま~にね。まだまだだよ」
「大変だね」
しずくが頷くと、有森は「ははは」と乾いた笑い声をたてた。
「俺はなんか、いっつも大変なとこばっか選んじまうんだよなぁ」
すぐに自嘲の声がした。
どきっとして、しずくは有森から目を逸らした。
――大変なとこばっか。
声に出さずに有森の言葉を繰り返したら、視界の奥であの夏の眩さが弾け飛んだ。
灼熱の光が白く、どこまでも白くスパークして、乾き切ったグラウンドを照らしている。スパイクの歯が地面を蹴り、白茶けた砂埃があがる。
びゅんっと風を切るボール。ばしっとミットに収まり、歓声が沸く。
――あの夏のど真ん中。
グラウンドの有森をしずくはただスタジアムから見つめていた。有森も数万の観客の中にいる共犯者の視線を感じていただろう。
――顔を合わせるたびに、こうやってわたしたちはいつまでも、あの夏を思い出すんだ。
「まあ、好きでやってんだけどさ」
有森はまたもや「ははは」と笑う。
しずくは「そっか」とだけ答えて、有森の力ない笑い声を聞いた。
「でも、相変わらず人気あるね、アリモリ」
「サイン、まだ高く売れるのかね」
「なに、それ?」
笑い声にまぎらした蔑みを感じたような気がして、しずくは有森に自然を戻した。有森の唇にはもう笑みはなかった。
「オークションにばんばん出されてるんだよ」
「サイン?」
「そう、サイン」
有森はどことなく憎々し気に頷いた。
わざわざ来てくれたファンへの感謝を込めて、練習後の気持ちも身体も疲れた状態でも応えているサインに値がつけられているなんて、確かに不快だろう。売り出した人間に恨み言のひとつも言ってやりたくなるところかもしれない。
「一万とかついてるんだから、ちょい待てよ、だよ」
「そんな金額出して買うひとなんているの?」
「いるから出すんじゃねぇの。もらいに来てくれればいくらでもするのにさ。そんなもん買うなっつーんだよね」
サインを終え、あの女性から花柄の小さな紙袋を受け取ったら、有森はまたにやっと笑った。
近づいていいということだ。
しずくはととっと有森に駆け寄った。
「暑いのに悪いね」
「だいじょうぶ」
野球用具を掛けた肩とは逆側に並ぶ。有森が自然に歩調をゆるめてくれた。あの夏以降、並んで歩くときの有森はいつもこうだ。
さり気なく優しい。
でも、そこに恋愛感情は介在しない。互いに不甲斐なくて情けない共犯同士だから、どうしても労わり合ってしまうだけなのだ。
今日、しずくがここに来たのだって、そのせいなのだから。
「調子どう?」
「ん、まあまあかな」
有森が小さく首を捻る。口元にはずっと笑みのかけらが貼りついている。
「投げてるの?」
「たま~にね。まだまだだよ」
「大変だね」
しずくが頷くと、有森は「ははは」と乾いた笑い声をたてた。
「俺はなんか、いっつも大変なとこばっか選んじまうんだよなぁ」
すぐに自嘲の声がした。
どきっとして、しずくは有森から目を逸らした。
――大変なとこばっか。
声に出さずに有森の言葉を繰り返したら、視界の奥であの夏の眩さが弾け飛んだ。
灼熱の光が白く、どこまでも白くスパークして、乾き切ったグラウンドを照らしている。スパイクの歯が地面を蹴り、白茶けた砂埃があがる。
びゅんっと風を切るボール。ばしっとミットに収まり、歓声が沸く。
――あの夏のど真ん中。
グラウンドの有森をしずくはただスタジアムから見つめていた。有森も数万の観客の中にいる共犯者の視線を感じていただろう。
――顔を合わせるたびに、こうやってわたしたちはいつまでも、あの夏を思い出すんだ。
「まあ、好きでやってんだけどさ」
有森はまたもや「ははは」と笑う。
しずくは「そっか」とだけ答えて、有森の力ない笑い声を聞いた。
「でも、相変わらず人気あるね、アリモリ」
「サイン、まだ高く売れるのかね」
「なに、それ?」
笑い声にまぎらした蔑みを感じたような気がして、しずくは有森に自然を戻した。有森の唇にはもう笑みはなかった。
「オークションにばんばん出されてるんだよ」
「サイン?」
「そう、サイン」
有森はどことなく憎々し気に頷いた。
わざわざ来てくれたファンへの感謝を込めて、練習後の気持ちも身体も疲れた状態でも応えているサインに値がつけられているなんて、確かに不快だろう。売り出した人間に恨み言のひとつも言ってやりたくなるところかもしれない。
「一万とかついてるんだから、ちょい待てよ、だよ」
「そんな金額出して買うひとなんているの?」
「いるから出すんじゃねぇの。もらいに来てくれればいくらでもするのにさ。そんなもん買うなっつーんだよね」