犬と私の1年間
犬とわらしべ長者。
大学生の夏休みは長い。
9月も半ばになり、随分と涼しくなってきたなと、縁側で風を感じながら思った。
茶トラと灰色狼は、相変わらず庭先を駆け回り元気いっぱいだ。
「大学生の夏休みって、こんなものなのだろうか?」
バイトと家事、犬の散歩。たまに雅と遊んだりもするけど、ヤツは私と違って夏を満喫している。
この前も「旅行に行くんだ~。彼氏と」なんてノロケてたっけ。
「暇だな……」
私の夏って、バタバタ引越しして、それだけで終わってしまうのだろうか? それも何だか寂しい。
「ごちそうさまでした!」
晩ご飯用に作ったカレーを早々に食べ終わった凪が、忙しなくバイトに出て行く。
今日は家庭教師の日だから、そんなには遅くはならない筈だ。
「いってらっしゃい」と言う間もない。
何だか1人だけ夏に取り残されたみたいで、面白くない。
夏休みも終わってしまうのに、私は一体何をしているのだろう?
そう思いながら、乱暴に凪が食べた後の食器を洗った。
夕方に2匹を連れて散歩に出ると、近くの商店街で抽選会をやっているのを目撃した。
「今時、めずらしい」
よくある、商店街で商品を買ったら「くじ引き券」が貰えるというシステムの抽選会。
サイフを開けて覗くと、抽選券が3枚入っていた。
「どうせ、当たったとしてもポケットティッシュってオチなんだよね。結局は」
そう思っているのに、僅かばかりに期待をしてしまうのが人間という生き物で、私は1等から順番に商品を確認していった。
「1等は旅行券で、2等は米30キロかあ。3等は……醤油1年分? 使えるの? 4等は商店街のお買い物券3000円分。で、5等がポケットティッシュ」
チャンスは3回のみ。それでお買い物券でも当たれば万々歳だ。やってみようかな? でも犬連れてるしな。どうしよう?
踏ん切りがつかないまま抽選会場を見物してると、たまにカランカランと当たりが出た鐘が鳴ってる。
「よし!」
突撃だ! どうせゴミになる抽選券。ティッシュでも貰った方がマシだ。
意を決して、列の最後に並ぼうとしたら、後ろから「柚月さん?」と声をかけられた。
どうやら凪はバイトが終わって、ご帰還中らしかった。
「よし! 兄ちゃん3回だ」
商店主特有の大きなダミ声のおじさんに言われ、凪は真剣な顔で頷いた。
クルクルと回る抽選器を見ながら「醤油、いやお買い物券を!」と心の中で必死に祈る。
コロンと出たのは白玉。残念賞もとい5等だ。
「後2回ね」
頷いた凪が再度抽選器を回す。
またしても白玉。
「はい、最後」
必死な顔をした凪が、ゆっくりゆっくりと抽選器を回し始めたけど、私はもう諦めていた。
「人生、そんなに甘くない」
最後もティッシュを貰うであろう凪を見ているのも時間の無駄だと考え、背を向けて立ち去ろうとした時「カランッカランッカラリンッ!!」と今まで一番大きな鐘の音が辺りに響き渡った。
家に帰りついた私達の興奮は、まだ治まらなかった。
「凄いよ凪! 私、初めて凪との出会いに感謝した!」
「うわあ。初めてなんだ。酷いなあ」
凪との出会いはとっくに感謝しているけど、口に出すのが初めてなだけだ。言い方もキツく可愛くないのに、言われた凪の表情も喜びで緩んでいる。
「これで米、しばらく買わないでいいね」
凪が当てたのは2等の米30キロだった。
普通に考えたら2人で食べきれる量じゃないとわかっているが、それでも当たったという感覚が嬉しい。
「炭水化物祭りだね」
「いいね! 炭水化物祭りをしましょう。今夜から!」
さっそく凪に運ばせた米(10キロ×3)の1つを開けようとしたらピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
2人で怪訝そうに、顔を見合わせる。
この家にはまだ誰もお客なんて来た事がなかったからだ。
そもそも同居してる事自体、親にも友達にも説明できないので秘密にしているので、誰も来ないのが当たり前といえば当たり前なのだけれど。
「はい」
恐るおそる玄関を開けると、そこには「祭り」の店長の奥さんが立っていた。
「ごめんなさいね~。急にお邪魔して」
取りあえず和室にお通しして、お茶などを淹れてみる。
「いえ……」
そう言うものの、正直、奥さんがどのような用件で来たのかがわからずに怖い。
この家を出て行けとかだったらどうしよう。
ゆっくりお茶を飲みながら、凪と楽しそうに話をしている奥さんを見つめ続けた。
「あの……今日は?」
数十分待っても、奥さんは用件を切り出さうとしないので、私は痺れを切らして奥さんに話しかけた。
キョトンとした奥さんが「ああ! そう!」と持っていたバッグから取り出したのは「1等」と書かれた封筒だった。
「これ、そこの商店街で当たっちゃったんだけど、家が自営業でしょ? 旅行なんて行けないし、どうしようかと思っていたら、主人が、凪にやったらどうだ? って言うものだから」
凪は遠慮なく封筒を掴み「やった! やった!」と子供の様に喜んでいる。
「凪! ダメ! でも奥さん、いいんですか? これ旅行券ですよね? そのうち使えるんじゃないですか?」
腐るものでもないのだし、置いておけばいいのに、と思う。
「いいのいいの。中身見たら5万円分しか入ってないのよ。ほら、我が家は5人家族でしょ? それじゃ足りないし、子供連れで日帰り旅行に行くのは疲れるだけなのよ」
「……でも」
「いいのよ、柚月ちゃん。ほら、彼氏がそんな感じだから、どうせ引っ越すだけ引越しさせて、遊びにも連れて行ってくれてないでしょ? まだ大学生は休みなんだから、2人でお泊りデートでもしてきたらどう? 犬なら預かってあげるわよ」
奥さんが善意で言っていくれている事は、物凄くわかる。
物凄くわかるのだけれど、想定が彼氏、彼女の話だから、私的に無理があり過ぎるのだ。
「折角のお話ですが……」
どう断ろうかと悩んでいたら「柚月さん、どっか行きたかったの? 早く行ってくれればいいのに!」と凪が横から口を挟んで来た。
「そうよ。凪君。彼女さんと家にばかり閉じこもってないで、若いんだからパッと遊んで来なさい! 彼女サービスしてあげないと、柚月ちゃん逃げちゃうわよ」
そのまま凪と奥さんが話出したので、結局私は、その話の間に入ってお断りをする事が出来なかった。
「なんだか悪いわねぇ」
そう言って奥さんが凪に運ばせようとしているのは「米30キロ」
貰ってばかりだと悪いと思い、物々交換をする事になったのだ。
帰っていく奥さんと米を背負った凪を見送り、小さくため息をつきながら思った。
わらしべ長者みたい……だと。
ゴミになる予定だった抽選券が米になり、そして1等の旅行券へ。
景品としてはグレードアップしている。タダ券から2等、そして1等なのだから。
それでも、この1等が私にとっての1等なのかといえば、そうじゃない気がする。
同居だけでも揉めたり喧嘩したり、複雑な感情を抱かされたりなのに、今度は旅行とか絶対に無理だ。
だいたい犬がいないで凪と2人って、そんなの本当に恋人同士みたいであり得ない!
私達はそんな関係じゃないのだから。
頭では冷静にそう考えているのに、どうして頬が熱くなるのだろう?
熱中症かも知れない。
気をつけなければ。
9月も半ばになり、随分と涼しくなってきたなと、縁側で風を感じながら思った。
茶トラと灰色狼は、相変わらず庭先を駆け回り元気いっぱいだ。
「大学生の夏休みって、こんなものなのだろうか?」
バイトと家事、犬の散歩。たまに雅と遊んだりもするけど、ヤツは私と違って夏を満喫している。
この前も「旅行に行くんだ~。彼氏と」なんてノロケてたっけ。
「暇だな……」
私の夏って、バタバタ引越しして、それだけで終わってしまうのだろうか? それも何だか寂しい。
「ごちそうさまでした!」
晩ご飯用に作ったカレーを早々に食べ終わった凪が、忙しなくバイトに出て行く。
今日は家庭教師の日だから、そんなには遅くはならない筈だ。
「いってらっしゃい」と言う間もない。
何だか1人だけ夏に取り残されたみたいで、面白くない。
夏休みも終わってしまうのに、私は一体何をしているのだろう?
そう思いながら、乱暴に凪が食べた後の食器を洗った。
夕方に2匹を連れて散歩に出ると、近くの商店街で抽選会をやっているのを目撃した。
「今時、めずらしい」
よくある、商店街で商品を買ったら「くじ引き券」が貰えるというシステムの抽選会。
サイフを開けて覗くと、抽選券が3枚入っていた。
「どうせ、当たったとしてもポケットティッシュってオチなんだよね。結局は」
そう思っているのに、僅かばかりに期待をしてしまうのが人間という生き物で、私は1等から順番に商品を確認していった。
「1等は旅行券で、2等は米30キロかあ。3等は……醤油1年分? 使えるの? 4等は商店街のお買い物券3000円分。で、5等がポケットティッシュ」
チャンスは3回のみ。それでお買い物券でも当たれば万々歳だ。やってみようかな? でも犬連れてるしな。どうしよう?
踏ん切りがつかないまま抽選会場を見物してると、たまにカランカランと当たりが出た鐘が鳴ってる。
「よし!」
突撃だ! どうせゴミになる抽選券。ティッシュでも貰った方がマシだ。
意を決して、列の最後に並ぼうとしたら、後ろから「柚月さん?」と声をかけられた。
どうやら凪はバイトが終わって、ご帰還中らしかった。
「よし! 兄ちゃん3回だ」
商店主特有の大きなダミ声のおじさんに言われ、凪は真剣な顔で頷いた。
クルクルと回る抽選器を見ながら「醤油、いやお買い物券を!」と心の中で必死に祈る。
コロンと出たのは白玉。残念賞もとい5等だ。
「後2回ね」
頷いた凪が再度抽選器を回す。
またしても白玉。
「はい、最後」
必死な顔をした凪が、ゆっくりゆっくりと抽選器を回し始めたけど、私はもう諦めていた。
「人生、そんなに甘くない」
最後もティッシュを貰うであろう凪を見ているのも時間の無駄だと考え、背を向けて立ち去ろうとした時「カランッカランッカラリンッ!!」と今まで一番大きな鐘の音が辺りに響き渡った。
家に帰りついた私達の興奮は、まだ治まらなかった。
「凄いよ凪! 私、初めて凪との出会いに感謝した!」
「うわあ。初めてなんだ。酷いなあ」
凪との出会いはとっくに感謝しているけど、口に出すのが初めてなだけだ。言い方もキツく可愛くないのに、言われた凪の表情も喜びで緩んでいる。
「これで米、しばらく買わないでいいね」
凪が当てたのは2等の米30キロだった。
普通に考えたら2人で食べきれる量じゃないとわかっているが、それでも当たったという感覚が嬉しい。
「炭水化物祭りだね」
「いいね! 炭水化物祭りをしましょう。今夜から!」
さっそく凪に運ばせた米(10キロ×3)の1つを開けようとしたらピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
2人で怪訝そうに、顔を見合わせる。
この家にはまだ誰もお客なんて来た事がなかったからだ。
そもそも同居してる事自体、親にも友達にも説明できないので秘密にしているので、誰も来ないのが当たり前といえば当たり前なのだけれど。
「はい」
恐るおそる玄関を開けると、そこには「祭り」の店長の奥さんが立っていた。
「ごめんなさいね~。急にお邪魔して」
取りあえず和室にお通しして、お茶などを淹れてみる。
「いえ……」
そう言うものの、正直、奥さんがどのような用件で来たのかがわからずに怖い。
この家を出て行けとかだったらどうしよう。
ゆっくりお茶を飲みながら、凪と楽しそうに話をしている奥さんを見つめ続けた。
「あの……今日は?」
数十分待っても、奥さんは用件を切り出さうとしないので、私は痺れを切らして奥さんに話しかけた。
キョトンとした奥さんが「ああ! そう!」と持っていたバッグから取り出したのは「1等」と書かれた封筒だった。
「これ、そこの商店街で当たっちゃったんだけど、家が自営業でしょ? 旅行なんて行けないし、どうしようかと思っていたら、主人が、凪にやったらどうだ? って言うものだから」
凪は遠慮なく封筒を掴み「やった! やった!」と子供の様に喜んでいる。
「凪! ダメ! でも奥さん、いいんですか? これ旅行券ですよね? そのうち使えるんじゃないですか?」
腐るものでもないのだし、置いておけばいいのに、と思う。
「いいのいいの。中身見たら5万円分しか入ってないのよ。ほら、我が家は5人家族でしょ? それじゃ足りないし、子供連れで日帰り旅行に行くのは疲れるだけなのよ」
「……でも」
「いいのよ、柚月ちゃん。ほら、彼氏がそんな感じだから、どうせ引っ越すだけ引越しさせて、遊びにも連れて行ってくれてないでしょ? まだ大学生は休みなんだから、2人でお泊りデートでもしてきたらどう? 犬なら預かってあげるわよ」
奥さんが善意で言っていくれている事は、物凄くわかる。
物凄くわかるのだけれど、想定が彼氏、彼女の話だから、私的に無理があり過ぎるのだ。
「折角のお話ですが……」
どう断ろうかと悩んでいたら「柚月さん、どっか行きたかったの? 早く行ってくれればいいのに!」と凪が横から口を挟んで来た。
「そうよ。凪君。彼女さんと家にばかり閉じこもってないで、若いんだからパッと遊んで来なさい! 彼女サービスしてあげないと、柚月ちゃん逃げちゃうわよ」
そのまま凪と奥さんが話出したので、結局私は、その話の間に入ってお断りをする事が出来なかった。
「なんだか悪いわねぇ」
そう言って奥さんが凪に運ばせようとしているのは「米30キロ」
貰ってばかりだと悪いと思い、物々交換をする事になったのだ。
帰っていく奥さんと米を背負った凪を見送り、小さくため息をつきながら思った。
わらしべ長者みたい……だと。
ゴミになる予定だった抽選券が米になり、そして1等の旅行券へ。
景品としてはグレードアップしている。タダ券から2等、そして1等なのだから。
それでも、この1等が私にとっての1等なのかといえば、そうじゃない気がする。
同居だけでも揉めたり喧嘩したり、複雑な感情を抱かされたりなのに、今度は旅行とか絶対に無理だ。
だいたい犬がいないで凪と2人って、そんなの本当に恋人同士みたいであり得ない!
私達はそんな関係じゃないのだから。
頭では冷静にそう考えているのに、どうして頬が熱くなるのだろう?
熱中症かも知れない。
気をつけなければ。