犬と私の1年間
犬と熱。
凪はそれから一昼夜眠り続けた。あまりにも寝るので、もしかしたら風邪じゃなくて、もっと大変な病気なのかも知れないと思い、何度か凪を揺すって起そうとした。その度に「う……ん。もう少しだけ……」と寝ぼけながらも、しっかりと答えるので、タオルで額を冷やしたり、汗を拭いたりしながら、とにかく熱を下げようと努力した。
「ん……」
凪が寝込んでから3日目の朝。
チュンチュンと庭から聞こえる鳥の声と、カーテン越しに感じる朝日で目が覚めた。どうやら私も体力の限界だったらしく、凪の寝ているベッドに突っ伏す状態で寝落ちしてしまっていたようだ。
「凪?」
スヤスヤ寝むる凪の顔は、赤くもなく普通の顔色に戻ってたし、寝息も穏やかで苦しそうじゃない。 ソッと額に手をやると、平熱に戻っていた。
「よかった」
ここまで来れば、もう大丈夫だろう。
私は凪を起さない様に静かに、部屋を出て朝食を作りを始めた。
ワンッ! ワン! と鳴く茶トラの声が聞こえて、そう言えばここ数日、散歩に連れて行ってあげてなかった事を思い出す。しかも、大学の必修科目があったのに、それすらもサボッてしまっていた。
「私、何をやっているんだろう?」
いくらそば居てと言われたからって、流石にこれはやり過ぎだ。
必修の科目ぐらいは授業を受けに行く余裕だってあったはずなのに。
せめて雅に代返だけでも頼んでおくべきだった、と後悔したけど、全ては後の祭りだ。
茶トラと共に灰色狼まで騒ぎ出したので、私は凪用のおかゆの火を止めて、先に散歩に出る事にした。
今日こそ学校に行かなければいけない。
「あら柚月ちゃん。久々ねぇ」
近所の公園に行くと、毎日犬の散歩ですれ違う常連のおばさんに話しかけられた。
茶トラと灰色狼も、おばさんの連れているチワワに擦り寄り、お互いに匂いを嗅ぎあいながら挨拶中だ。
「ええ、ちょっと体調を崩しまして」
凪が……の単語は言わない。
「あら大丈夫? そう言えば、まだ顔色が悪いみたいよぉ。無理しないで犬の散歩は彼氏さんに任せればいいのに……」
「…………え?」
何故、名前も知らない、散歩ですれ違うだけのおばさんが、凪の事を知っているのだ?
「一緒に住んでるでしょ? だって茶トラちゃんと灰色狼ちゃんの散歩、たまに彼氏さんがしてるでしょ? 不思議に思ってこの前聞いたらね、一緒に暮らしてますって、それは嬉しそうに言うものだから。若いっていいわね」
凪の野郎! と思う。
知らないおばさんにまで同居の事をペラペラと! 一体何を考えているのだ! 話はどこから漏れるかわからないんだぞ!
怒りのためなのか、一瞬頭がフッと白くなり、体がグラリと傾いた。
「柚月ちゃん! 大丈夫? ほら、やっぱり体調がまだ万全じゃないのよ! 今日はもう帰りなさい」
「……はい」
何だかフワフワする気がするし、体も震えて来た私は、おばさんの言葉に素直に頷いて家に帰った。
「柚月さん。お帰りなさい。どこ行ってたの?」
凪はテーブルに座りながら、私の作ったおかゆを食べていた。鍋の中身はもう空っぽになりかけている。
「どこって、茶トラ達の散歩。それより凪、もう大丈夫なの?」
「うん。もうすっかり。それより僕、何で柚月さんの部屋で寝てたの?」
「憶えてないんだ……」
凪に引っ張られて倒れこんだ事も、そばに居て欲しがった事も。
私1人がまた凪の一挙手一投足に振り回されていたのか? そう思うと、何故だか体が震えて来た。
「あれ?」
こんなのいつもの事なのに、どうしてこんなにも震えが止まらないのだろう? 私、おかしい?
「柚月さん。震えてるよ大丈夫? それに顔色が悪いよ!」
「だ……大丈夫。今日こそは学校に行かないと……」
そう言いながらも体の震えは増していく。
「無理だよ! 何言ってるのさ! どうして学校休んでたの? 何で?」
「何でって……」
それは凪がそばに居て欲しがったから。
ううん、もしかすると私が離れ難かったせい?
わからない、本当にわからない。
「何でだろう? 自分でもわからない……」
頭もボーッとしてきて、それ以上考えが及ばない。
そのまま凪の横を通り過ぎて、朝食の片付けをしようとしたら、腕をパシッと掴まれた。
「……熱い。柚月さん熱あるんじゃないの?」
「え?」
凪の真剣な顔が近づいてきて、私はぼんやりとした頭で「キスされるのかな? もうどうでもいいや」と思った。
何も考えられないし、考えたくない。
「熱いよ。やっぱり」
凪が触れた場所は額だった。
単に、額と額で、熱を計っただけみたいだ。
「そう……」
そっと凪から距離を取り「寝る」と言って、部屋へ向かおうとしたが、足に力が入らない。
フラフラ歩く私を見かねたらしい凪が、素早く前に回り込み、お姫様抱っこで私を抱き上げた。
「ちょっと……やめ……て」
「ベッドまで運ぶから、ゆっくり寝て。きっと僕が風邪をうつしちゃったんだ。ごめん」
話しながら私をベッドへ運ぶ凪の顔は、今までに見たこともないぐらいに頼もしく、知らない男性のように感じた。
ベッドに横たえられ「僕、柚月さんのおかゆを作ってみるよ!」と部屋を出て行った凪をぼんやりとした意識で追いかけながら、私はまだ凪の温もりと匂いが残る布団に包まった。
凪がそばに居る――と思うと、妙に安心をしてしまい、おかゆが出来る前に眠りに落ちた。
「ん……」
凪が寝込んでから3日目の朝。
チュンチュンと庭から聞こえる鳥の声と、カーテン越しに感じる朝日で目が覚めた。どうやら私も体力の限界だったらしく、凪の寝ているベッドに突っ伏す状態で寝落ちしてしまっていたようだ。
「凪?」
スヤスヤ寝むる凪の顔は、赤くもなく普通の顔色に戻ってたし、寝息も穏やかで苦しそうじゃない。 ソッと額に手をやると、平熱に戻っていた。
「よかった」
ここまで来れば、もう大丈夫だろう。
私は凪を起さない様に静かに、部屋を出て朝食を作りを始めた。
ワンッ! ワン! と鳴く茶トラの声が聞こえて、そう言えばここ数日、散歩に連れて行ってあげてなかった事を思い出す。しかも、大学の必修科目があったのに、それすらもサボッてしまっていた。
「私、何をやっているんだろう?」
いくらそば居てと言われたからって、流石にこれはやり過ぎだ。
必修の科目ぐらいは授業を受けに行く余裕だってあったはずなのに。
せめて雅に代返だけでも頼んでおくべきだった、と後悔したけど、全ては後の祭りだ。
茶トラと共に灰色狼まで騒ぎ出したので、私は凪用のおかゆの火を止めて、先に散歩に出る事にした。
今日こそ学校に行かなければいけない。
「あら柚月ちゃん。久々ねぇ」
近所の公園に行くと、毎日犬の散歩ですれ違う常連のおばさんに話しかけられた。
茶トラと灰色狼も、おばさんの連れているチワワに擦り寄り、お互いに匂いを嗅ぎあいながら挨拶中だ。
「ええ、ちょっと体調を崩しまして」
凪が……の単語は言わない。
「あら大丈夫? そう言えば、まだ顔色が悪いみたいよぉ。無理しないで犬の散歩は彼氏さんに任せればいいのに……」
「…………え?」
何故、名前も知らない、散歩ですれ違うだけのおばさんが、凪の事を知っているのだ?
「一緒に住んでるでしょ? だって茶トラちゃんと灰色狼ちゃんの散歩、たまに彼氏さんがしてるでしょ? 不思議に思ってこの前聞いたらね、一緒に暮らしてますって、それは嬉しそうに言うものだから。若いっていいわね」
凪の野郎! と思う。
知らないおばさんにまで同居の事をペラペラと! 一体何を考えているのだ! 話はどこから漏れるかわからないんだぞ!
怒りのためなのか、一瞬頭がフッと白くなり、体がグラリと傾いた。
「柚月ちゃん! 大丈夫? ほら、やっぱり体調がまだ万全じゃないのよ! 今日はもう帰りなさい」
「……はい」
何だかフワフワする気がするし、体も震えて来た私は、おばさんの言葉に素直に頷いて家に帰った。
「柚月さん。お帰りなさい。どこ行ってたの?」
凪はテーブルに座りながら、私の作ったおかゆを食べていた。鍋の中身はもう空っぽになりかけている。
「どこって、茶トラ達の散歩。それより凪、もう大丈夫なの?」
「うん。もうすっかり。それより僕、何で柚月さんの部屋で寝てたの?」
「憶えてないんだ……」
凪に引っ張られて倒れこんだ事も、そばに居て欲しがった事も。
私1人がまた凪の一挙手一投足に振り回されていたのか? そう思うと、何故だか体が震えて来た。
「あれ?」
こんなのいつもの事なのに、どうしてこんなにも震えが止まらないのだろう? 私、おかしい?
「柚月さん。震えてるよ大丈夫? それに顔色が悪いよ!」
「だ……大丈夫。今日こそは学校に行かないと……」
そう言いながらも体の震えは増していく。
「無理だよ! 何言ってるのさ! どうして学校休んでたの? 何で?」
「何でって……」
それは凪がそばに居て欲しがったから。
ううん、もしかすると私が離れ難かったせい?
わからない、本当にわからない。
「何でだろう? 自分でもわからない……」
頭もボーッとしてきて、それ以上考えが及ばない。
そのまま凪の横を通り過ぎて、朝食の片付けをしようとしたら、腕をパシッと掴まれた。
「……熱い。柚月さん熱あるんじゃないの?」
「え?」
凪の真剣な顔が近づいてきて、私はぼんやりとした頭で「キスされるのかな? もうどうでもいいや」と思った。
何も考えられないし、考えたくない。
「熱いよ。やっぱり」
凪が触れた場所は額だった。
単に、額と額で、熱を計っただけみたいだ。
「そう……」
そっと凪から距離を取り「寝る」と言って、部屋へ向かおうとしたが、足に力が入らない。
フラフラ歩く私を見かねたらしい凪が、素早く前に回り込み、お姫様抱っこで私を抱き上げた。
「ちょっと……やめ……て」
「ベッドまで運ぶから、ゆっくり寝て。きっと僕が風邪をうつしちゃったんだ。ごめん」
話しながら私をベッドへ運ぶ凪の顔は、今までに見たこともないぐらいに頼もしく、知らない男性のように感じた。
ベッドに横たえられ「僕、柚月さんのおかゆを作ってみるよ!」と部屋を出て行った凪をぼんやりとした意識で追いかけながら、私はまだ凪の温もりと匂いが残る布団に包まった。
凪がそばに居る――と思うと、妙に安心をしてしまい、おかゆが出来る前に眠りに落ちた。