犬と私の1年間
犬とケーキ。
「ごちそうさま……」

 夕食を食べ終えた凪が黙って食器を運ぼうとする。

 最近、めっきり元気がない上に、家を長時間空ける事もなくなった。

 それは、あの「クリスマス? バイト入れちゃった」発言の後からずっとで、私はその元気のない姿を見る度に激しく罪悪感が募る。

 そのまま、無言で部屋を出て行く凪を見送りながら、私は昨日の店長とのバトルを思い出していた。





「は? 柚月ちゃん! バイト入ってくれるって言ってたよね?」

「ええ、でも急用って言うか、何て言うか、元から予定があったような、なかったような……」

「どっちなんだよ!?」

 軽くキレる店長を初めて見た。

「えーっと。どうやら、あった模様です」

「ハア……」と大きくため息をついた後、店長は寂しそうに「ああ、今年も我が家にはサンタさんは来ないな」と呟いた。

「ああ、毎年、毎年、24時間、365日。仕事があり、休みもない店。ああ、可愛い我が子達に今年こそはサンタさんを見せてあげたかった。家族でパーティをしたかった……」

 日本人のクリスマスに対する浮かれ具合について散々文句を言っていたのに、自分はちゃっかりと予定を入れていたらしい。

「本当に申し訳ないです」

「ああ! 俺は妻や子供に必要とされてるのだろうか? パパ死ね! とか言われるのだろうか?」

 店長の悲しみは、もう私に聞かせるレベルの呟きではなく、叫びになっている。その証拠に、店長の奇声に驚き店内を出て行くお客様もいる。営業妨害だ。

「本当にすみません!」

「ああ! この世には神も仏もいないのか!」

 クリスマスなのに神や仏。店長の混乱具合は相当だ。

「ああ、俺もう失踪しようかな」

「失踪はダメですよ! 奥さんや子供が悲しみますよ!」

 最近、失踪事件があったばかりの私は、思わず失踪の単語に大袈裟な反応をしてしまった。

「でも、今年こそクリスマスケーキを一緒に食べようね、と言うささやかな子供との約束を守れそうにない。こんなパパではもう失踪しても仕方ない」

「ダメですよ! 一緒に食べてあげればいいじゃないですか?」

「じゃあ、柚月ちゃん。夜勤入ってくれるの?」

「もちろんです! って…………え?」

「ありがとう! ありがとう! マリア様!」

 両手を握られてブンブン振られる。

 もしかして、私、またやってしまった?

「ちょ~っと! まって下さい!」

 そのままバックヤードへ逃げ出そうとする店長を捕まえて、必死に交渉したのだった。




 今思い出しても、あれ以上どうすればよかったのかわからない。

 私に予定があったように、店長にだって予定があったのだ。しかも子供さんとの大事な約束。

 いつもお世話になっているし、出来れば力を貸してあげたいと思ってしまったのは仕方がない。そもそも私が引き受けてしまったせいで店長の予定が狂ってしまったのだから。

 そして、その交渉の結果、店長は家族パーティの後、子供さんが寝てプレゼントを置いたら、私と代わってくれると約束した。

 大事な人達と美味しいものを食べてお祝いする。そして子供さんのサンタになる。それだけ楽しめれば店長も満足なのだろう。しかしその為に私は、クリスマスの1番いい時間帯を寂しい気持ちで過ごさなければならなくなる。

 それだけの行事を行った後に自宅を出てここへ向かってくれるので、どんなに早くても深夜の11時ぐらいになるだろう。終電に乗れるかどうかギリギリの時間だ。

 家まではたった1駅だけど、電車を逃すと歩いて帰らなくてはならない。クリスマスの深夜に歩いて帰るのは寂しいし、怖い。

 私は急いで、店長の携帯に『終電に間に合う時間に帰らせて』とメールを送った。

『了解! 了解!』とご機嫌な返事が返って来たけれど、本当に大丈夫か心配だ。


 今日は12月24日、ただいま、夕方の5時。

 凪の部屋の方を見ながら、心の中で「ごめんね」と囁いた。

 私が帰って来るまで、茶トラ達と男だけのクリスマスパーティをして楽しんでいて! 少しでも早く帰れるように頑張ります。





「いらっしゃいませ」

 ブイーンと自動ドアが開く度に「店長か?」と確認するけど、まだやって来ない。

 気持ちだけ焦るが、時刻はまだ21時で、店長宅では楽しいパーティの真っ最中だろう。

 お客様が持ってきた商品のバーコードを通して、値段を言って、お金を貰ってお釣りを渡す。

 暇が出来たら掃除と棚の補充、陳列。

 する仕事はいつもと変わらない。でも扱う商品が微妙に違う。

 スイーツコーナーには今日だけ限定の、2個パックにされた「クリスマスケーキ」が多数あり、これが今日、凄くよく売れていた。

 2人だったら、こんなケーキの方が手軽でありがたいのだろう。


 私はスイーツコーナーに山と積まれた「イチゴのショートケーキ2個セット」をジッと見る。

 店長が来たらお金を払って買って帰ろう……と1パックをバックヤードへ置いた。

 凪が予定していたクリスマスとも、私が思っていたクリスマスとも違ってしまったけど、ケーキぐらい凪と食べて笑い合いたい。
 




「柚月ちゃん! 助かったよ!」

 そう言って店長が現れたのは23時過ぎだった。

 予定よりも数分の遅刻。終電間際の数分は貴重な時間なのだ。


「店長、これ買いますからレジ打って!」

 急いでバックヤードからケーキを持って来る。

「おお、柚月ちゃんも買って帰るの? これね、今年の新商品で……」

「いいから! 早く!」

 店長のクリスマスはもう終わったかも知れないけど、私はまだ、何もしていない。

 凪と、茶トラと、灰色狼と――出会って最初のクリスマスだったのに。

 もっともっと考えて行動していれば、大切な思い出が作れるはずだった。

 それなのに私はまた周りが見えずに失敗した。

 罪悪感と後悔を背負いながら、私は駅まで全速力で走った。

 今日中には絶対に帰りたい。

 大切な人達がいるから。

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