犬と私の1年間
犬からのプレゼント。
終電車の中は、人々の熱気で窓に曇りが出来るほど蒸していた。
しかも、その大半は恋人同士で、お互いしか見えていない。
コンビニの袋を下げた、寂しい女に見える私には厳しい空間だった。
私にだって大切な人達がいる。
大切な人と大好きな犬達。
必ず守れるという保証がなかったので、私は凪に今日中に帰れるかも、とは告げていなかった。
凪がどこかのパーティに行きたいのなら、それでもいいと思っていたからだ。
元気がなかった凪は、凪らしくない。
帰れるかどうかわからない私を、ずっと待たせたくないと思った。
1人で待つ寂しさと孤独を私は嫌というほど味わったから。
凪にはそんなクリスマスは似合わない。
いつでも笑っていて欲しい。
凪がどこかへ出かけていたとしても、責めないでいようと心に決めていた。
私が悪いらしいし、茶トラ達を連れて遊びにはでかけられないのだから、家には大好きな犬達が待っている。
本当はダメなのだけれど、気分を味わう為に、ほんの一口だけでも茶トラ達とケーキを食べたらいい。
人込みでケーキが潰れないように、しっかりと抱きしめ、私は大切な人達が待つ家ばかりを考えていた。
「たっ……ただいま」
鍵を開けて入った玄関から先は、案の定真っ暗で静まり返っていた。
やはり友人の多い凪は、寂しさに耐えかねてどこかへ行ったらしい。
手の中のケーキが急に重たくなった気がしたが、これは想定していた事なのだから仕方がない。
茶トラと灰色狼と私で仲良くケーキを食べよう。
寂しくなんてない、と心の中で唱えながら、リビングへの扉を開けた。
パ~ンッ! 軽く高い弾けたような音を間近で聞いてしまい、私は驚いて手にしていたケーキを落としてしまった。
真っ暗だった室内に電気が灯り「柚月さん! メリークリスマス!!」とサンタのコスプレをした凪が飛び出して来た。その手にはクラッカーが握られている。
どう反応していいかわからず固まっている私に「あれ? びっくりしなかった?」と無邪気に聞くレベルの低い凪サンタに「びっくりしました」と答えながらケーキを拾い上げた。
せっかく電車で守りぬいたケーキは、悲しいかな、ペタンコになっていた。
「それケーキ?」
「そう。潰れたけど」
「いいよ! 大丈夫!」
潰した原因の人に慰められても、なんとなく浮上出来ない。
そんな私の手を引いて凪は私をテーブルに座らせる。
その上には溢れんばかりの料理が並んでいた。
チキンにサラダ、宅配されて冷め切ってしまっているピザ、買って来たらしきオードブルセット。
4人用のテーブルだったけど、それでも零れて落ちそうだ。
凪が冷蔵庫から歌いながら取り出したのは、子供用のシャンメリー。
「柚月さんは、お酒ダメだからね。だから、これで乾杯ね!」と上機嫌だ。
今日帰るとは伝えていなかったのに、凪はいつこんなパーティの準備をしていたのだろう?
「乾杯しよう! 乾杯!」
凪がシャンメリーを注ぐのは、私が実家から持ってきたまま使っていないワイングラスだった。
グラスの内部が赤で満たされ、小さな泡がはじける。
「雰囲気だけね」
凪がワイングラスの1つを私に手渡し、私達は笑いながら「乾杯」と静かにグラスを合わせた。
聞きたい事が沢山あるし、言いたい事も沢山あるけど、今はこの静かな時間を大切にしようと思った。
細かい話なんて明日以降でもいい。
だって今日はクリスマス。楽しく過ごしたい。
「ウ~~! ワンッ!!」
とテーブルの下から聞こえたので覗くと、茶トラと灰色狼が居た。
今日は特別に家に上げて貰ったみたいだ。
空っぽになったエサ皿を私の方へ差し出す茶トラと灰色狼に、チキンの身を取って少しだけあげた。
「よかったね、茶トラ。ずっと柚月さん待ってたもんね!」
「ワンッ!」
「茶トラ、灰色狼。遅くなってゴメンね」
そう言って頭を撫でると、嬉しそうに尻尾を振る。
今日は犬達にとっても楽しい日になればいい。
「凪もゴメンね。遅くなってゴメンね」
「いいよ。気にしてない」
夕方までは確かに不機嫌だったのに、この数時間で何があったのだろう?
気になるが、それ以上に私を待っていてくれた事が一番嬉しい。
「食べようよ柚月さん。僕お腹減ったよ」
「はい。本日は深夜の暴飲暴食を許可します」
私は手近にあったサラダを、凪は手づかみでチキンに取りかかった。
食べても食べても、テーブルのうえの料理はなくなる気配がなかった。
「もう無理だよ」
「え~。どうするの? これ?」
凪はまだ旺盛な食欲を見せて聞いてくるけれど、ピザはLだし、オードブルは家族用。サラダはボール山盛りでチキンは丸々一羽ある。
「何で、こんなに買って来たの?」
「え? だって4人用って書いてたから……」
「え?」
「僕と柚月さんと茶トラと灰色狼の4人でしょ? だから4人前!」
「あのね、犬は食べちゃダメなヤツもあるんだよ。玉葱とかさ。玉葱中毒になっちゃうでしょ?」
「知ってるよ。でも家族なんだから、こんな日ぐらいはいいかな? と思って。勿論、中毒性の高い物は絶対にあげないし、塩分も糖分も加減してあげるし」
途中から凪の言葉を聞けていなかった。
たった1つの単語が私の幸せな気分にさっと水を差すのがわかった。
――家族
やっぱり、と心の中で納得した。
家族みたいと家族なんだから、は言葉の意味が違う。
私にとって今の生活は前者だけど、凪は後者。
私はもう「家族」なんだね。
「……柚月さん?」
食べながら不思議そうに私を見てくる凪。
私は凪が好きだ。凪も私が好きだと信じている。
「柚月さん? どうしたの?」
「別に何でもない」
――家族。
凪の好きと私の好きは違うものだった。ただそれだけだ。
今の関係が変わらなくていいじゃないか? と思う。
大好きだけど、いつかは終わりを迎えてしまう関係。それでいい。
永遠なんて――ない。
恋人なんて不確かな存在よりも、家族の方が繋がりが深い。
だから、もういい。
傷ついてなんかいない。
私の不穏な顔色に気づいた凪が「柚月さん、これを!」とポケットから小さな箱を取り出した。
「メリークリスマス」
そう言って照れくさそうに渡された箱は綺麗にラッピングが施されていて、学生が気軽に買えない高級店のロゴが印刷されたリボンで結ばれていた。
それを一目みた瞬間に理解した。
凪はこれを買う為に忙しかったのだ、と。
私のために無理してくれていたのだ、と。
そう思うと、涙が一筋零れた。
「ゆ……柚月さん! ゴメン嫌だった?」
「嬉しい。私、凪に忘れられたってずっと思ってたから」
「そんな事あるわけないよ」
「うん、そうだねごめん」
私は丁寧にリボンをほどき、箱を開けた。
中に入っていたのは、指輪だった。
シンプルなプラチナのリングに小さな小さなハート型のアクアマリン。
「可愛い……本当にいいの?」
「もちろん。はめてみて」
そう言われ指輪を取り出すが、どの指にはめるべきが悩んでしまう。
見かねた凪が、わたしの左手薬指にその指輪をそっとはめてくれた。
「あ……ありがとう」
頬が熱い、でも嬉しい。恥ずかしいけど幸せ。
私が幸福の余韻に浸っていると、凪が突然大声で「結婚して下さい!」と叫んだ。
「……は?」
幻聴だろうか? 幸せすぎて私は、今の雰囲気にあったセリフを妄想として聞いているのだろうか?
家族だと言っていた人が、その前段階である結婚なんて単語を言う訳がない。
「結婚して下さい!」
凪の真剣な顔と、こちらを真っ直ぐに見つめる瞳。
幻聴でも妄想でもない現実。
ありえないプロポーズ。
結婚して下さいのセリフは、まだ私には早すぎる。
しかも、その大半は恋人同士で、お互いしか見えていない。
コンビニの袋を下げた、寂しい女に見える私には厳しい空間だった。
私にだって大切な人達がいる。
大切な人と大好きな犬達。
必ず守れるという保証がなかったので、私は凪に今日中に帰れるかも、とは告げていなかった。
凪がどこかのパーティに行きたいのなら、それでもいいと思っていたからだ。
元気がなかった凪は、凪らしくない。
帰れるかどうかわからない私を、ずっと待たせたくないと思った。
1人で待つ寂しさと孤独を私は嫌というほど味わったから。
凪にはそんなクリスマスは似合わない。
いつでも笑っていて欲しい。
凪がどこかへ出かけていたとしても、責めないでいようと心に決めていた。
私が悪いらしいし、茶トラ達を連れて遊びにはでかけられないのだから、家には大好きな犬達が待っている。
本当はダメなのだけれど、気分を味わう為に、ほんの一口だけでも茶トラ達とケーキを食べたらいい。
人込みでケーキが潰れないように、しっかりと抱きしめ、私は大切な人達が待つ家ばかりを考えていた。
「たっ……ただいま」
鍵を開けて入った玄関から先は、案の定真っ暗で静まり返っていた。
やはり友人の多い凪は、寂しさに耐えかねてどこかへ行ったらしい。
手の中のケーキが急に重たくなった気がしたが、これは想定していた事なのだから仕方がない。
茶トラと灰色狼と私で仲良くケーキを食べよう。
寂しくなんてない、と心の中で唱えながら、リビングへの扉を開けた。
パ~ンッ! 軽く高い弾けたような音を間近で聞いてしまい、私は驚いて手にしていたケーキを落としてしまった。
真っ暗だった室内に電気が灯り「柚月さん! メリークリスマス!!」とサンタのコスプレをした凪が飛び出して来た。その手にはクラッカーが握られている。
どう反応していいかわからず固まっている私に「あれ? びっくりしなかった?」と無邪気に聞くレベルの低い凪サンタに「びっくりしました」と答えながらケーキを拾い上げた。
せっかく電車で守りぬいたケーキは、悲しいかな、ペタンコになっていた。
「それケーキ?」
「そう。潰れたけど」
「いいよ! 大丈夫!」
潰した原因の人に慰められても、なんとなく浮上出来ない。
そんな私の手を引いて凪は私をテーブルに座らせる。
その上には溢れんばかりの料理が並んでいた。
チキンにサラダ、宅配されて冷め切ってしまっているピザ、買って来たらしきオードブルセット。
4人用のテーブルだったけど、それでも零れて落ちそうだ。
凪が冷蔵庫から歌いながら取り出したのは、子供用のシャンメリー。
「柚月さんは、お酒ダメだからね。だから、これで乾杯ね!」と上機嫌だ。
今日帰るとは伝えていなかったのに、凪はいつこんなパーティの準備をしていたのだろう?
「乾杯しよう! 乾杯!」
凪がシャンメリーを注ぐのは、私が実家から持ってきたまま使っていないワイングラスだった。
グラスの内部が赤で満たされ、小さな泡がはじける。
「雰囲気だけね」
凪がワイングラスの1つを私に手渡し、私達は笑いながら「乾杯」と静かにグラスを合わせた。
聞きたい事が沢山あるし、言いたい事も沢山あるけど、今はこの静かな時間を大切にしようと思った。
細かい話なんて明日以降でもいい。
だって今日はクリスマス。楽しく過ごしたい。
「ウ~~! ワンッ!!」
とテーブルの下から聞こえたので覗くと、茶トラと灰色狼が居た。
今日は特別に家に上げて貰ったみたいだ。
空っぽになったエサ皿を私の方へ差し出す茶トラと灰色狼に、チキンの身を取って少しだけあげた。
「よかったね、茶トラ。ずっと柚月さん待ってたもんね!」
「ワンッ!」
「茶トラ、灰色狼。遅くなってゴメンね」
そう言って頭を撫でると、嬉しそうに尻尾を振る。
今日は犬達にとっても楽しい日になればいい。
「凪もゴメンね。遅くなってゴメンね」
「いいよ。気にしてない」
夕方までは確かに不機嫌だったのに、この数時間で何があったのだろう?
気になるが、それ以上に私を待っていてくれた事が一番嬉しい。
「食べようよ柚月さん。僕お腹減ったよ」
「はい。本日は深夜の暴飲暴食を許可します」
私は手近にあったサラダを、凪は手づかみでチキンに取りかかった。
食べても食べても、テーブルのうえの料理はなくなる気配がなかった。
「もう無理だよ」
「え~。どうするの? これ?」
凪はまだ旺盛な食欲を見せて聞いてくるけれど、ピザはLだし、オードブルは家族用。サラダはボール山盛りでチキンは丸々一羽ある。
「何で、こんなに買って来たの?」
「え? だって4人用って書いてたから……」
「え?」
「僕と柚月さんと茶トラと灰色狼の4人でしょ? だから4人前!」
「あのね、犬は食べちゃダメなヤツもあるんだよ。玉葱とかさ。玉葱中毒になっちゃうでしょ?」
「知ってるよ。でも家族なんだから、こんな日ぐらいはいいかな? と思って。勿論、中毒性の高い物は絶対にあげないし、塩分も糖分も加減してあげるし」
途中から凪の言葉を聞けていなかった。
たった1つの単語が私の幸せな気分にさっと水を差すのがわかった。
――家族
やっぱり、と心の中で納得した。
家族みたいと家族なんだから、は言葉の意味が違う。
私にとって今の生活は前者だけど、凪は後者。
私はもう「家族」なんだね。
「……柚月さん?」
食べながら不思議そうに私を見てくる凪。
私は凪が好きだ。凪も私が好きだと信じている。
「柚月さん? どうしたの?」
「別に何でもない」
――家族。
凪の好きと私の好きは違うものだった。ただそれだけだ。
今の関係が変わらなくていいじゃないか? と思う。
大好きだけど、いつかは終わりを迎えてしまう関係。それでいい。
永遠なんて――ない。
恋人なんて不確かな存在よりも、家族の方が繋がりが深い。
だから、もういい。
傷ついてなんかいない。
私の不穏な顔色に気づいた凪が「柚月さん、これを!」とポケットから小さな箱を取り出した。
「メリークリスマス」
そう言って照れくさそうに渡された箱は綺麗にラッピングが施されていて、学生が気軽に買えない高級店のロゴが印刷されたリボンで結ばれていた。
それを一目みた瞬間に理解した。
凪はこれを買う為に忙しかったのだ、と。
私のために無理してくれていたのだ、と。
そう思うと、涙が一筋零れた。
「ゆ……柚月さん! ゴメン嫌だった?」
「嬉しい。私、凪に忘れられたってずっと思ってたから」
「そんな事あるわけないよ」
「うん、そうだねごめん」
私は丁寧にリボンをほどき、箱を開けた。
中に入っていたのは、指輪だった。
シンプルなプラチナのリングに小さな小さなハート型のアクアマリン。
「可愛い……本当にいいの?」
「もちろん。はめてみて」
そう言われ指輪を取り出すが、どの指にはめるべきが悩んでしまう。
見かねた凪が、わたしの左手薬指にその指輪をそっとはめてくれた。
「あ……ありがとう」
頬が熱い、でも嬉しい。恥ずかしいけど幸せ。
私が幸福の余韻に浸っていると、凪が突然大声で「結婚して下さい!」と叫んだ。
「……は?」
幻聴だろうか? 幸せすぎて私は、今の雰囲気にあったセリフを妄想として聞いているのだろうか?
家族だと言っていた人が、その前段階である結婚なんて単語を言う訳がない。
「結婚して下さい!」
凪の真剣な顔と、こちらを真っ直ぐに見つめる瞳。
幻聴でも妄想でもない現実。
ありえないプロポーズ。
結婚して下さいのセリフは、まだ私には早すぎる。