犬と私の1年間
犬、乱入す。
フローリングの床にボロボロの格好のまま正座させられている凪。
それを取り囲むように立つ我が家の面々。
灰色狼は、茶トラの横に繋がれ難を逃れたが、問題は凪だった。
事前連絡もなく、突然現れたために、何の対策も相談も出来ていない。
明日「また帰ってくるね」で終われたはずだったのに、凪の登場によって、ここ数日間の努力が全て無駄になってしまった。
「で、柚月。コイツとは知り合いなのか?」
「いえ違います」
「やっぱり不審者じゃないか! 何が目的だ? 金か娘か? まあいい。署の方でゆっくりと話を聞くとしよう」
刑事だ! 刑事が居る! お父さんの仕事現場を初めて見た。しかし自分の彼氏が犯人役とはシュールだ。
私はドラマのようにその光景を眺めていたが「違う! 現実だ!」と思い直す。
あまりにもの出来事に、私の脳は一時避難をしていたらしいが、もう誤魔化しきれない。
本気で凪を連行しようとする、お父さんの腕を掴んで「知り合いです! 友達に間違いありません!」と叫んだ。
「え? 僕達友達だったの?」
状況を理解できていないのか、凪が普通に問い返してきた。
「シャラップ!」
話をこれ以上ややこしくしないで欲しいと目で訴える。シュンとしたので、しばらくは大丈夫だろう。
そう思って家族の方を振り向くと、妹はニヤニヤし、お母さんは困惑顔で、お父さんは怒りのあまり真っ赤になっていた。
はい、終了しました。
「成る程ねえ……」
私は結局、家族に事情を打ち明けた。
最初のマンションでお隣に住んでいた事、凪がペット禁止のマンションに捨て犬を3匹も拾って来た事、1匹は引き取り手が見つかったけど、残り2匹はダメだった事、大家さんに見つかってマンションを追い出された事、凪のバイト先の店長さんが家を貸してくれた事、犬を育てなければいけなくなり仕方なく同居する様になった事。
「ほらね! やっぱり同棲!」
「違う! 同居よ!」
「一緒じゃん!」
「バカ! 辞書を引け! 意味が違うの!」
喧嘩する姉妹と、困惑顔がさらに広がるお母さんと、凪の後ろに立って、私が一言話す度に、凪の頭をゲンコツで一発ずつ殴ってるお父さんと。
凪、お父さんのゲンコツを黙って受け入れ、既に失神寸前の様子だ。
「あなた……凪君って仰るの?」
「はい! 大澤凪、経済学部1年生です!」
「うちの柚月と同居していらっしゃる?」
「はい! 毎日お世話になってます!」
「そう……」
そのまま考え込むお母さんと「彼氏、可愛いね!」とはしゃぐ妹と、赤いを通り越してどす黒くなったお父さんと、体がフラフラで前後左右に揺れる凪。
ああ、私はこんな修羅場を武器もなしにどう潜り抜ければいいのだ!
沈黙が続くリビングで、話を再開したのは、やはりお母さんだった。
「取り合えずお茶にしましょう。そして今後の事を話し合いましょう。凪さんもそれでいいかしら?」
「はい! よろしくお願いします! 大事にします!」
「バカ!」
今からが本当の地獄なのに、全く察知していない。
私は1人で頭を抱え込んだ。
「で、どうしましょうか? あなた?」
「逮捕する。微罪でもいい。柚月、今からストーカーの被害届を出せ!」
「嫌だよ!」
「僕、ストーカーじゃありません」
「逮捕する。絶対にこの手で逮捕する」
「柚月さんの恋人です」
お父さんの顔が、錆びた鉄みたいな色になった。
殴りかかろうとするお父さんを私達は全力で止めた。
お父さんが本気になったら、傷害致死になってしまう!
暴れるお父さんが庭に追い出され、話し合いが再開した。
「柚月もわかっているわね。お父さんもお母さんも反対よ。同居なんて」
「わかってるけど、犬達が居るし。1人だと散歩に行ったり出来ない日もある訳で……」
「なんだかんだ言っても、お姉ちゃんが凪君と一緒に暮らしたいんだよね~」
「違う! いや、違わないかも。凪と居るのが当たり前みたいに思ってるから」
「はい! 僕と柚月さんと茶トラと灰色狼は家族なんです! 今はまだ他人かも知れませんが、いずれは結婚してくれると約束してくれました。だから、卒業したら本当の家族になります!」
凪は隠していた婚約の事まで話した。
お父さんと一緒に庭へ追い出せばよかったと後悔するが、もう遅い。
「結婚! 柚月、あなたそんな覚悟でこの子と同居してるの?」
「いや、あのその。いえ……。え~っと、はい!」
否定したら、また話はややこしくなり、お父さんが暴走する。ここは肯定するしか選択肢がない。
ずっとそばに居たいけど、本気の覚悟なのか? と言われると辛いものがある。
まだ未来は遠くて、不安も沢山あるから。
「そうなの。そこまでなの。柚月もそんな年頃になったのね」
寂しそうに呟くお母さん。
「義兄さんだ! やったあ! 超嬉しい!」
喜ぶ妹。
「覚悟とか、そんな事まで考えてくれてたんだね、柚月さん……」
感動する凪。
幸せオーラが漂い始めたリビングのガラスが割れた。
「許さん! 許さん! 許さん!」
素手でガラスを割り、リビングへと戻ってきたお父さん。
これはもう、話し合う余地とか皆無なのでは、と感じた。
スッと席を立ち、おかわりのお茶を注いで行くお母さんが「柚月が変わったのは凪君のおかげだったのね」と呟き席に座った。
「僕は別に何もしていません。むしろ柚月さんが僕を変えてくれました」
「そうなの?」
「はい」
「うちの柚月を大切にしてくれるの?」
「当たり前です」
「それなら同居は解消してくれるかしら?」
あくまで自然な会話として、お母さんは、その話を持って来た。
もちろんです! と言いそうになった凪も固まっている。
「同居は解消しない。したくないの、私達はお母さんやお父さんが思っているような関係じゃないし、これからもそうならない。ただ一緒に居たいから居るだけなの。ね、凪」
援護があると思ったけれど、私の言葉に凪は反応してくれない。
「犬が問題だというなら、あの2匹は我が家で引き取ります。これで問題解決でしょ? そして、卒業して本当にあなた達が結婚する時に、再度犬を引き取りにいらっしゃい。それでどう? お父さん?」
落としどころが決まったのか、お父さんも頷く。
茶トラ達をここへ?
それって、もう一緒に暮らせないの?
「嫌! そんなの嫌!」
犬達と離れたくなくて引越しまでしたのに。
ずっと、仲良く暮らしてたのに。
これからも、ずっとずっと、そうやって暮らして行くんだと信じてたのに!
涙を溜めてお母さんの顔を見るけど、真剣な表情で聞き入れて貰えそうにない。
お母さんの言ってる事は正しい。
反論の余地もない。
それでも、私の頬に涙が伝った。
感情が「嫌」だと叫ぶ。
そして「嫌! 絶対に嫌!」と本気で叫ぼうとした時に、凪が「分かりました」と言った。
ずっと一緒に居ようって言ってくれたのに、それは嘘だったの?
凪と私と茶トラと灰色狼、4人で暮らしていくんでしょ?
それなのに、どうして!
「私は嫌!」
その言葉を、もう誰も聞いてはくれなかった。
それを取り囲むように立つ我が家の面々。
灰色狼は、茶トラの横に繋がれ難を逃れたが、問題は凪だった。
事前連絡もなく、突然現れたために、何の対策も相談も出来ていない。
明日「また帰ってくるね」で終われたはずだったのに、凪の登場によって、ここ数日間の努力が全て無駄になってしまった。
「で、柚月。コイツとは知り合いなのか?」
「いえ違います」
「やっぱり不審者じゃないか! 何が目的だ? 金か娘か? まあいい。署の方でゆっくりと話を聞くとしよう」
刑事だ! 刑事が居る! お父さんの仕事現場を初めて見た。しかし自分の彼氏が犯人役とはシュールだ。
私はドラマのようにその光景を眺めていたが「違う! 現実だ!」と思い直す。
あまりにもの出来事に、私の脳は一時避難をしていたらしいが、もう誤魔化しきれない。
本気で凪を連行しようとする、お父さんの腕を掴んで「知り合いです! 友達に間違いありません!」と叫んだ。
「え? 僕達友達だったの?」
状況を理解できていないのか、凪が普通に問い返してきた。
「シャラップ!」
話をこれ以上ややこしくしないで欲しいと目で訴える。シュンとしたので、しばらくは大丈夫だろう。
そう思って家族の方を振り向くと、妹はニヤニヤし、お母さんは困惑顔で、お父さんは怒りのあまり真っ赤になっていた。
はい、終了しました。
「成る程ねえ……」
私は結局、家族に事情を打ち明けた。
最初のマンションでお隣に住んでいた事、凪がペット禁止のマンションに捨て犬を3匹も拾って来た事、1匹は引き取り手が見つかったけど、残り2匹はダメだった事、大家さんに見つかってマンションを追い出された事、凪のバイト先の店長さんが家を貸してくれた事、犬を育てなければいけなくなり仕方なく同居する様になった事。
「ほらね! やっぱり同棲!」
「違う! 同居よ!」
「一緒じゃん!」
「バカ! 辞書を引け! 意味が違うの!」
喧嘩する姉妹と、困惑顔がさらに広がるお母さんと、凪の後ろに立って、私が一言話す度に、凪の頭をゲンコツで一発ずつ殴ってるお父さんと。
凪、お父さんのゲンコツを黙って受け入れ、既に失神寸前の様子だ。
「あなた……凪君って仰るの?」
「はい! 大澤凪、経済学部1年生です!」
「うちの柚月と同居していらっしゃる?」
「はい! 毎日お世話になってます!」
「そう……」
そのまま考え込むお母さんと「彼氏、可愛いね!」とはしゃぐ妹と、赤いを通り越してどす黒くなったお父さんと、体がフラフラで前後左右に揺れる凪。
ああ、私はこんな修羅場を武器もなしにどう潜り抜ければいいのだ!
沈黙が続くリビングで、話を再開したのは、やはりお母さんだった。
「取り合えずお茶にしましょう。そして今後の事を話し合いましょう。凪さんもそれでいいかしら?」
「はい! よろしくお願いします! 大事にします!」
「バカ!」
今からが本当の地獄なのに、全く察知していない。
私は1人で頭を抱え込んだ。
「で、どうしましょうか? あなた?」
「逮捕する。微罪でもいい。柚月、今からストーカーの被害届を出せ!」
「嫌だよ!」
「僕、ストーカーじゃありません」
「逮捕する。絶対にこの手で逮捕する」
「柚月さんの恋人です」
お父さんの顔が、錆びた鉄みたいな色になった。
殴りかかろうとするお父さんを私達は全力で止めた。
お父さんが本気になったら、傷害致死になってしまう!
暴れるお父さんが庭に追い出され、話し合いが再開した。
「柚月もわかっているわね。お父さんもお母さんも反対よ。同居なんて」
「わかってるけど、犬達が居るし。1人だと散歩に行ったり出来ない日もある訳で……」
「なんだかんだ言っても、お姉ちゃんが凪君と一緒に暮らしたいんだよね~」
「違う! いや、違わないかも。凪と居るのが当たり前みたいに思ってるから」
「はい! 僕と柚月さんと茶トラと灰色狼は家族なんです! 今はまだ他人かも知れませんが、いずれは結婚してくれると約束してくれました。だから、卒業したら本当の家族になります!」
凪は隠していた婚約の事まで話した。
お父さんと一緒に庭へ追い出せばよかったと後悔するが、もう遅い。
「結婚! 柚月、あなたそんな覚悟でこの子と同居してるの?」
「いや、あのその。いえ……。え~っと、はい!」
否定したら、また話はややこしくなり、お父さんが暴走する。ここは肯定するしか選択肢がない。
ずっとそばに居たいけど、本気の覚悟なのか? と言われると辛いものがある。
まだ未来は遠くて、不安も沢山あるから。
「そうなの。そこまでなの。柚月もそんな年頃になったのね」
寂しそうに呟くお母さん。
「義兄さんだ! やったあ! 超嬉しい!」
喜ぶ妹。
「覚悟とか、そんな事まで考えてくれてたんだね、柚月さん……」
感動する凪。
幸せオーラが漂い始めたリビングのガラスが割れた。
「許さん! 許さん! 許さん!」
素手でガラスを割り、リビングへと戻ってきたお父さん。
これはもう、話し合う余地とか皆無なのでは、と感じた。
スッと席を立ち、おかわりのお茶を注いで行くお母さんが「柚月が変わったのは凪君のおかげだったのね」と呟き席に座った。
「僕は別に何もしていません。むしろ柚月さんが僕を変えてくれました」
「そうなの?」
「はい」
「うちの柚月を大切にしてくれるの?」
「当たり前です」
「それなら同居は解消してくれるかしら?」
あくまで自然な会話として、お母さんは、その話を持って来た。
もちろんです! と言いそうになった凪も固まっている。
「同居は解消しない。したくないの、私達はお母さんやお父さんが思っているような関係じゃないし、これからもそうならない。ただ一緒に居たいから居るだけなの。ね、凪」
援護があると思ったけれど、私の言葉に凪は反応してくれない。
「犬が問題だというなら、あの2匹は我が家で引き取ります。これで問題解決でしょ? そして、卒業して本当にあなた達が結婚する時に、再度犬を引き取りにいらっしゃい。それでどう? お父さん?」
落としどころが決まったのか、お父さんも頷く。
茶トラ達をここへ?
それって、もう一緒に暮らせないの?
「嫌! そんなの嫌!」
犬達と離れたくなくて引越しまでしたのに。
ずっと、仲良く暮らしてたのに。
これからも、ずっとずっと、そうやって暮らして行くんだと信じてたのに!
涙を溜めてお母さんの顔を見るけど、真剣な表情で聞き入れて貰えそうにない。
お母さんの言ってる事は正しい。
反論の余地もない。
それでも、私の頬に涙が伝った。
感情が「嫌」だと叫ぶ。
そして「嫌! 絶対に嫌!」と本気で叫ぼうとした時に、凪が「分かりました」と言った。
ずっと一緒に居ようって言ってくれたのに、それは嘘だったの?
凪と私と茶トラと灰色狼、4人で暮らしていくんでしょ?
それなのに、どうして!
「私は嫌!」
その言葉を、もう誰も聞いてはくれなかった。