犬と私の1年間

犬の気持ち。2

「ふぅぅあ……」

 バイト中に大あくびが出る。

 何だか最近、考える事が多くて眠れない……気がする。


「なんだ? 凪。最近いつも眠たそうだな。さては、アレか? 毎日毎日柚月ちゃんとよろしくやってるのか?」
 居酒屋「祭り」僕のバイト先。

 今住んでる家は店長が好意で貸してくれてる。それは重々承知だけど、こう毎日の様に冷やかしを受けるのは堪った物ではない。

「してませんって。だから、僕と柚月さんは、そういう関係じゃないって何回も……」

「はいはい」 

 ニヤニヤしてる。 絶対に誤解してる。

 何度も「違う」って言ってるのに聞いてくれない。

「はあ……」

 でも、人からみたら、付き合ってるとか思われるんだろうな。柚月さんもここでは否定しないし。

 一体何考えてるんだろう?

「ほら、凪! ボーッツとするな! これ5番テーブルだ」

「は~い」

 また柚月さんの事を考えていて注意された。

 しばらくは考えないでおこう…………なんて、出来るわけないんだけど。

 一緒に住んでるし、嫌でも毎日目に入る。

「おはよう」って朝食を食べてる柚月さん。

「もう! 凪!」って怒る柚月さん。

「茶トラがね……」と楽しそうに散歩中の事を教えてくれる柚月さん。

 僕の頭は柚月さんでいっぱいだ。

 もう、そろそろヤバイかも知れない。





 台風が接近している日。

 祭りで「今日は店じまいにした方がいいかもなあ」って店長が呟いた時に、団体さんが入って来た。

 こんな台風の日によく来るな。

 それでも店が開いてるのだから「いらっしゃいませ~」とお客さんを出迎えた。

 注文を取りに行ってびっくりする。

 何故か柚月さんが居る。

 さっきは全然気づかなかった。

 何で? どうして? こんな日に? 茶トラと灰色狼は大丈夫なの?

 聞きたいことは山の様にあるけど、聞けない。

 今は柚月さんはお客さんで、僕は店員。

 個人的な会話はNGだ。

 飲み物を運んだり、食べ物を運んだりしていると、柚月さんの横に座った男がどんどん柚月さんに接近してる。

「柚月さんに近づくな!」って大声で叫びたい。

 叫びたいけど、僕は柚月さんの彼氏でも何でもない、唯のルームメイト。

 そんな事を言う資格はないんだ。

 それでも客扱いが乱暴になるのは仕方がない。

 それぐらいは許して欲しい。


 柚月さんの隣の男。

 明らかに柚月さんを狙ってる。

 それなのに柚月さんは気づかないっぽい。

 それとも気づいてる?

 胸がモヤモヤする。

 ムカムカして、喧嘩も出来ないくせに、相手の男を殴りたくなる。


 それはマズイから、僕はなるべく柚月さんの方を見ない様にした。

 それから数十分後、まさか柚月さんが、その男と消えてしまうなんて、想像もつかなかった。



 店長に「台風だから早退してもいいぞ」って言ってもらって、凄い風と横殴りの雨に濡れながら家まで走る。まさか、家の中にまでさっきの男を招きいれてはないと思うけど、心配だ。

 柚月さんって結構無防備だから心配だ。

 皆が皆、僕みたいに手が出せない勇気のない男ばっかりじゃないよ! 柚月さん!


 家の明かりが見えて、ホッとした途端に電気が一斉に消えた。

 まさかの停電。

 僕は手探りで玄関を開けて、置いてあった懐中電灯を点けた。

 小さな光の先に、人影が見えた――





「はあ……」

 昨日、柚月さんと喧嘩した。

 初めて僕が怒った。

 顔を合わせたら、もう柚月さんを自分の物にしてしまおうか、とか良からぬ考えを起しそうで怖くて、早朝にこっそりと家を飛び出した。

 始発に乗り、終点まで行くと潮の香りがして、僕は港へ行ってボーッと海を眺めていた。

「はあ……」

 数日ぐらいは顔を合わさないで頭を冷やそう。

 そう思えるぐらいには冷静になっていた。

 それでも、この数日をどこで過ごそうかな。

 正直、どこに行っても男1人なんだし、野宿でも何でも出来るから大丈夫かな? なんて思ってたら、船の汽笛の音が聞こえた。

 そっちの方へ近づくと、どうやらここから、小さな離島への定期フェリーが出ているらしい。

 僕はサイフの中身を確認して、出来る限り遠い島へ行く事にした。



「綺麗だな……」

 白い波を立たせながら進むフェリーは爽快で、さっきまでの嫌な気分が吹っ飛んで行く。

 やっぱり乗って良かった。

 そう思ってデッキに立っていると、カモメが空を飛んでいた。

 近くまで来たり、遠く離れたり、船と競争してるみたい。

「あっ! 確か、アンパンの残りが……」

 ポケットに入れたままの食べかけのアンパンを千切って投げると、かもめがキャッチして、また離れて行く。

 それが楽しくて、何度も何度もやってるうちに、大分海の方へ身を乗り出していた。

「危ない!」と船員さんらしき人に後ろから引っ張られた拍子に、アンパンを取り出した時に少しはみ出ていたサイフが海の藻屑と消えた。

「ああ……」

 あの中に帰りのフェリーの切符も、手持ちのお金も全部入ってたのに……。


 僕は船員さんに「危険行為禁止」について怒涛の怒りを受け続けながらも、サイフの事を考えずにはいられなかった。


 まぁ、失くしてしまったものは仕方がない。

 誰かに借りよう。

 おまわりさんとかなら、何とかしてくれるかも。

 最悪、友達に電話して、迎えに来てもらうか、お金を送ってもらえばいい。

 そう結論づけた所で、汽笛を鳴らしながらフェリーは小さな港へ停泊した。




「え? おまわりさんが居ない島?」

「そんなの居る訳ないね~」

 フェリー乗り場で出会ったおばあちゃんに話を聞くと、どうやらこの島にはおまわりさんも居ないし、銀行もないらしい。あるのは郵便局1個だけ。

 残念ながら、僕は郵便局には口座がない。

「おばあちゃん。僕、お金落としちゃったんだけど、どうすればいいと思う?」

「若者が何を言ってるか! 働け働け!」

「いや、働かない事もないけど、ここは全然知らない島だし……」

「働かねば飯は食えん」

 怒り出したおばあちゃんに謝って、他の人達にも聞くけど、結構皆、同じ様な回答で。

 この島はどうやらお年寄りが多いらしい。

「働けって言われてもなあ……」

 切れてしまった携帯の充電。それを見て呆然とする。

 こうなれば、働いて稼ぐしかない。

「それでもな……」

 働くって言ったってどうすればいい? もちろん帰りのフェリー代ぐらいなら仕事さえあれば稼げる。2日もあれば十分過ぎるに違いないけど一体どこで職を探せばいいのだろうか?


「は? 働きたい?」

 質問を変えて他の人に話しかけると「漁港へ行け」と言われて、漁港へ向かう。

 猟師さんらしき日に焼けた男の人に話しかけると「船主さんに聞け」と言われる。

 そこで「漁港組合」と書かれた建物へ入り「お金がないから働きたい」と申し出た。

 すんなりと「バイト扱いならいいよ」と許可を貰い「丁度、今から出る船がある。少しは稼げるぞ」と言われてラッキーな仕事に当たった! と何も考えずに船に乗り込んだ。

 それが、後々、凪の失踪事件になるとは夢にも思わなかったんだ。





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