犬と私の1年間
犬の気持ち。4
帰港した船から降りて魚の積み上げ作業と雑務を終えた僕は「解散!」の船長の言葉を聞いて、漁港組合へ駆け込んだ。
びっくりした顔をする船主さんに「フェリー代! フェリー代!」と急かす。
「まあ、待て。そんなにも直に計算できん」
「給料は後でもいいですから取りあえずフェリー代だけでも先に下さい! 早く家に帰らないと! ああっ! その前に柚月さんに連絡をしなくっちゃ……」
オロオロ焦る僕に電話を差し出してくれるが、携帯は最早唯の箱。そこに電話番号を入れてたので柚月さんの携帯番号が分からない。それならば、と船主さんが絵葉書をくれた。そこになぐり書きで「明日帰ります」と書き込む。
「明日? 明日は人が乗るフェリーはないぞ」
「え?」
「荷物だけは届いたり出したり出来るが、人が乗れる大型船がやって来るのは明後日だ」
「……ウソ」
毎日フェリーが来ないなんて! それじゃあ帰れない!
益々慌て出した僕に「取りあえず葉書だけ出せ。それが着く頃には明日帰るぐらいになってるだろう」とアドバイスをくれた。
「……はい」
「給料は、直には計算出来ないが、給料からの天引きでフェリー代だけは前借にしておく。それでいいか?」
「……はい」
僕はその場で帰りのフェリー代と若干のプラスアルファを貰って、漁港を後にした。
絵葉書を島内唯一の郵便局に預けて、ウロウロと島を彷徨っていると、タロさんに「凪」と声をかけられた。
「ああ、タロさん……」
「何だ? 死にそうな顔をして。久々の陸だというのに……」
「明後日まで船が来ないんです」
「ああ、そうだったかな?」
「はい……」
「それじゃあ、船が来るまでうちで過ごせ。そうしろ、そうしろ」とタロさんの家に厄介になる事になった。本当にここの人達はいい人ばっかりだ。
フェリーが出航する日。
港まで見送りに来てくれた、タロさんと奥さんにお礼を言って別れた。
「また来いよ。今度は嫁さんと子供を連れてな」の言葉に頷いておく。
本当に今度は柚月さんと茶トラと灰色狼で来たい。
ブォォォォ……と汽笛を鳴らしながら夜の海を進むフェリーの上で、僕は若干の感傷に浸った。
「お帰りなさい」
少しでも早く会いたくて玄関で待っていた僕は、いきなり柚月さんにグーで殴られた。
酷い! 何で!?
そう思っても柚月さんの鬼の様な顔に浮かぶ少しの涙に、心配かけて申し訳なかったなの思いが募る。
だから、僕は素直に怒られた。
「柚月さんに会いたいなあって、ずっと考えてた。柚月さんの声が聞きたいなってずっと思ってた。僕、やっぱり柚月さんの事好きだ。だから、ヘンな男に嫉妬してた」
躊躇いも無く自分の口から出る言葉。
言いたくて勇気が無くて、怒ったり拗ねたりして遠回りになった言葉。
柚月さんが、どう思うかなんて分からないけど、言いたかったんだ。
まさか、その言葉に「私も好き」と返してくれるなんて思わなかった。
ああ、遠洋漁業に出てよかったよ……。
「祭り」の店長に怒られたり、学校の友達に嫌味を言われたりしながらも、今まで通りの生活に戻った数日後。バイトはともかく休みすぎた授業を何とかしようと必死になっていた僕の前に、柚月さんの友達だという女の子が現れた。
「困ってる? 柚月の扱いに?」と微笑みながら聞くので、素直に頷く。
だって、急に「好き」同士だからって何をしてもいいって事はない……。
キスするよ? って言ったら凄く嫌そうにされたし、女の子って分からないし謎だ。
だから、柚月さんの友達の雅さんにだけは、僕の気持ちを話して、柚月さんとの今後を一体どうすればいいのか相談したんだ。
「う~ん……」
雅さんからのアドバイス。
流石の鈍い柚月でもクリスマスぐらいは期待している筈。プレゼントを用意すべし。出来ればアクセサリーがいい。それも指輪なら最高。
「アクセサリー?」
柚月さんって、何かつけてたっけ? ピアスもしてなければ、ネックレスも滅多にしてない気がする。それなら他には何がある? ブレスレット? 家事の邪魔かなあ。それなら、後は何だ?
「指輪……かな? やっぱり?」
そう思いながら、近くのちょっと高級なアクセサリーショップへ行くと、僕はその値段に思わずショーケースのガラスに頭を打ちつけた。
「1,10、100、1000、10000……。ウソ!?」
アクセサリーってこんなにも高いの? 本当に? 本気で? 何の為に?
貯金の残高って言っても、仕送りを受けてる身。数万しかない。
「無理だな、うん。諦めよう」
そう思って店を後にしようとした時に、僕は見つけてしまった。
柚月さんにも見せてあげたいと思った綺麗な海の色の石が光る指輪。
見つけてしまったら、ダメだった。もう、絶対にこれしかない、と思った。
「貯めてやる! 貯めてやるぞ! 10万円!!!!」
僕はまたしても働く事を決意した――
学校に行きながら、隙間時間を縫って、日雇いのバイトを入れる。主に深夜と早朝。それに普段の祭りでのバイト。フラフラになるが、これもあの指輪の為。絶対に柚月さんにも見せてあげるんだ、あの綺麗な海の色を。そう思って気力で激務を乗り切った。
「クリスマス? バイトだけど」
朝食の席で何でもない様に言う柚月さんを見て、目の前が真っ暗になった。
折角お金が貯まったのに……。
今日こそはクリスマスの計画を立てようと思ったのに……。
言葉も出なかった。
「雅さんの嘘つき!」
フラフラになりながら学校へ行くと、雅さんが手招きして僕を呼んだ。だから文句が口から出てしまった。
「ごめん、まさか、あそこまでの鈍いマイペース女とは計算外だったわ……」
「もう、いいんです……」
「待って、凪君! 何とかしてあげるからさ!」
「もう、いいんです……」
それだけ言って去った。
やっぱり柚月さんは、僕の事を彼氏とか思ってない。
絶対にそうだ。
僕だけが柚月さんを好きなんだ。
立ち直れないまま過ごしていると、たまに柚月さんが哀れんだ目で僕を見る。
もう、放っておいて欲しい。
クリスマスの日。本当に柚月さんは夕方に出て行った。
ああ、僕はどう過ごそうかな?
折角稼いだお金だけど、無駄遣いしちゃおうかな?
そんなウジウジした気持ちでいたら、電話が鳴った。
相手は雅さんだ。
「もしもし?」
「凪君! いい!? あのね、柚月、今日中に帰って来るよ!」
「え? でも夜勤でしょ?」
「今、柚月の働いてるコンビニ前。店長さんに予定聞いたら、今日中に帰れるようにして欲しいってお願いしたらしいよ。だからね、凪君! 急だけど、急いでプレゼント! 出来たら細身の指輪がいい。柚月の好みだから。サイズは7号ね。後は深夜でも何でもいいから食べ物と飲み物の用意! 分かった?」
「はいっ!」
「それから、プレゼントをさり気なく渡して、その間に抱きしめて、そのまま押し倒しなさい! 押し倒した後に愛を叫びなさい! 分かった?」
「…………」
「分かったの!?」
「…………はい」
そんな事が出来る男なら、こんなにも苦労してないよ、とは言えなかった。
それでも僕は電話を切った後、急いでプレゼントを買いに行き、近所のスーパーで「家族4人です」と言って色々と買う。お酒はダメだ。僕も柚月さんも未成年だし、柚月さんはお酒に弱い。だから、子供用の飲み物を用意した。
両手いっぱいに荷物を抱えて戻ると、郵便局の人が「現金書留です。ここに判子を」と僕宛の現金書留を差し出した。判子を押して、中身を見ると、30万円近く入っていた。
中には手紙。
『遅くなったが、アルバイト代+嫁さんの出産祝いだ。凪、お前初めての船で頑張ってたらしいな。船員みんなが少しずつ包んでくれた。大事に使え』と船主さんからのメッセージ。
「ああっ!!」
そうだった。遠洋漁業のお金、フェリー代しか貰ってなかった! 忘れてた!
バサリと書留が落ちた。
船主さん。
給料…………遅いよ。僕、別のバイトでお金貯めちゃったよ。
でも、あの島の人達の優しさが胸に沁みた。
あの島と同じ色の海のアクアマリンって宝石がついた指輪。
本当に、買ってよかった。
びっくりした顔をする船主さんに「フェリー代! フェリー代!」と急かす。
「まあ、待て。そんなにも直に計算できん」
「給料は後でもいいですから取りあえずフェリー代だけでも先に下さい! 早く家に帰らないと! ああっ! その前に柚月さんに連絡をしなくっちゃ……」
オロオロ焦る僕に電話を差し出してくれるが、携帯は最早唯の箱。そこに電話番号を入れてたので柚月さんの携帯番号が分からない。それならば、と船主さんが絵葉書をくれた。そこになぐり書きで「明日帰ります」と書き込む。
「明日? 明日は人が乗るフェリーはないぞ」
「え?」
「荷物だけは届いたり出したり出来るが、人が乗れる大型船がやって来るのは明後日だ」
「……ウソ」
毎日フェリーが来ないなんて! それじゃあ帰れない!
益々慌て出した僕に「取りあえず葉書だけ出せ。それが着く頃には明日帰るぐらいになってるだろう」とアドバイスをくれた。
「……はい」
「給料は、直には計算出来ないが、給料からの天引きでフェリー代だけは前借にしておく。それでいいか?」
「……はい」
僕はその場で帰りのフェリー代と若干のプラスアルファを貰って、漁港を後にした。
絵葉書を島内唯一の郵便局に預けて、ウロウロと島を彷徨っていると、タロさんに「凪」と声をかけられた。
「ああ、タロさん……」
「何だ? 死にそうな顔をして。久々の陸だというのに……」
「明後日まで船が来ないんです」
「ああ、そうだったかな?」
「はい……」
「それじゃあ、船が来るまでうちで過ごせ。そうしろ、そうしろ」とタロさんの家に厄介になる事になった。本当にここの人達はいい人ばっかりだ。
フェリーが出航する日。
港まで見送りに来てくれた、タロさんと奥さんにお礼を言って別れた。
「また来いよ。今度は嫁さんと子供を連れてな」の言葉に頷いておく。
本当に今度は柚月さんと茶トラと灰色狼で来たい。
ブォォォォ……と汽笛を鳴らしながら夜の海を進むフェリーの上で、僕は若干の感傷に浸った。
「お帰りなさい」
少しでも早く会いたくて玄関で待っていた僕は、いきなり柚月さんにグーで殴られた。
酷い! 何で!?
そう思っても柚月さんの鬼の様な顔に浮かぶ少しの涙に、心配かけて申し訳なかったなの思いが募る。
だから、僕は素直に怒られた。
「柚月さんに会いたいなあって、ずっと考えてた。柚月さんの声が聞きたいなってずっと思ってた。僕、やっぱり柚月さんの事好きだ。だから、ヘンな男に嫉妬してた」
躊躇いも無く自分の口から出る言葉。
言いたくて勇気が無くて、怒ったり拗ねたりして遠回りになった言葉。
柚月さんが、どう思うかなんて分からないけど、言いたかったんだ。
まさか、その言葉に「私も好き」と返してくれるなんて思わなかった。
ああ、遠洋漁業に出てよかったよ……。
「祭り」の店長に怒られたり、学校の友達に嫌味を言われたりしながらも、今まで通りの生活に戻った数日後。バイトはともかく休みすぎた授業を何とかしようと必死になっていた僕の前に、柚月さんの友達だという女の子が現れた。
「困ってる? 柚月の扱いに?」と微笑みながら聞くので、素直に頷く。
だって、急に「好き」同士だからって何をしてもいいって事はない……。
キスするよ? って言ったら凄く嫌そうにされたし、女の子って分からないし謎だ。
だから、柚月さんの友達の雅さんにだけは、僕の気持ちを話して、柚月さんとの今後を一体どうすればいいのか相談したんだ。
「う~ん……」
雅さんからのアドバイス。
流石の鈍い柚月でもクリスマスぐらいは期待している筈。プレゼントを用意すべし。出来ればアクセサリーがいい。それも指輪なら最高。
「アクセサリー?」
柚月さんって、何かつけてたっけ? ピアスもしてなければ、ネックレスも滅多にしてない気がする。それなら他には何がある? ブレスレット? 家事の邪魔かなあ。それなら、後は何だ?
「指輪……かな? やっぱり?」
そう思いながら、近くのちょっと高級なアクセサリーショップへ行くと、僕はその値段に思わずショーケースのガラスに頭を打ちつけた。
「1,10、100、1000、10000……。ウソ!?」
アクセサリーってこんなにも高いの? 本当に? 本気で? 何の為に?
貯金の残高って言っても、仕送りを受けてる身。数万しかない。
「無理だな、うん。諦めよう」
そう思って店を後にしようとした時に、僕は見つけてしまった。
柚月さんにも見せてあげたいと思った綺麗な海の色の石が光る指輪。
見つけてしまったら、ダメだった。もう、絶対にこれしかない、と思った。
「貯めてやる! 貯めてやるぞ! 10万円!!!!」
僕はまたしても働く事を決意した――
学校に行きながら、隙間時間を縫って、日雇いのバイトを入れる。主に深夜と早朝。それに普段の祭りでのバイト。フラフラになるが、これもあの指輪の為。絶対に柚月さんにも見せてあげるんだ、あの綺麗な海の色を。そう思って気力で激務を乗り切った。
「クリスマス? バイトだけど」
朝食の席で何でもない様に言う柚月さんを見て、目の前が真っ暗になった。
折角お金が貯まったのに……。
今日こそはクリスマスの計画を立てようと思ったのに……。
言葉も出なかった。
「雅さんの嘘つき!」
フラフラになりながら学校へ行くと、雅さんが手招きして僕を呼んだ。だから文句が口から出てしまった。
「ごめん、まさか、あそこまでの鈍いマイペース女とは計算外だったわ……」
「もう、いいんです……」
「待って、凪君! 何とかしてあげるからさ!」
「もう、いいんです……」
それだけ言って去った。
やっぱり柚月さんは、僕の事を彼氏とか思ってない。
絶対にそうだ。
僕だけが柚月さんを好きなんだ。
立ち直れないまま過ごしていると、たまに柚月さんが哀れんだ目で僕を見る。
もう、放っておいて欲しい。
クリスマスの日。本当に柚月さんは夕方に出て行った。
ああ、僕はどう過ごそうかな?
折角稼いだお金だけど、無駄遣いしちゃおうかな?
そんなウジウジした気持ちでいたら、電話が鳴った。
相手は雅さんだ。
「もしもし?」
「凪君! いい!? あのね、柚月、今日中に帰って来るよ!」
「え? でも夜勤でしょ?」
「今、柚月の働いてるコンビニ前。店長さんに予定聞いたら、今日中に帰れるようにして欲しいってお願いしたらしいよ。だからね、凪君! 急だけど、急いでプレゼント! 出来たら細身の指輪がいい。柚月の好みだから。サイズは7号ね。後は深夜でも何でもいいから食べ物と飲み物の用意! 分かった?」
「はいっ!」
「それから、プレゼントをさり気なく渡して、その間に抱きしめて、そのまま押し倒しなさい! 押し倒した後に愛を叫びなさい! 分かった?」
「…………」
「分かったの!?」
「…………はい」
そんな事が出来る男なら、こんなにも苦労してないよ、とは言えなかった。
それでも僕は電話を切った後、急いでプレゼントを買いに行き、近所のスーパーで「家族4人です」と言って色々と買う。お酒はダメだ。僕も柚月さんも未成年だし、柚月さんはお酒に弱い。だから、子供用の飲み物を用意した。
両手いっぱいに荷物を抱えて戻ると、郵便局の人が「現金書留です。ここに判子を」と僕宛の現金書留を差し出した。判子を押して、中身を見ると、30万円近く入っていた。
中には手紙。
『遅くなったが、アルバイト代+嫁さんの出産祝いだ。凪、お前初めての船で頑張ってたらしいな。船員みんなが少しずつ包んでくれた。大事に使え』と船主さんからのメッセージ。
「ああっ!!」
そうだった。遠洋漁業のお金、フェリー代しか貰ってなかった! 忘れてた!
バサリと書留が落ちた。
船主さん。
給料…………遅いよ。僕、別のバイトでお金貯めちゃったよ。
でも、あの島の人達の優しさが胸に沁みた。
あの島と同じ色の海のアクアマリンって宝石がついた指輪。
本当に、買ってよかった。