犬と私の1年間
犬の心配。
張り紙をしてもらい、連絡を待ったが、待てど暮らせど凪の携帯は鳴らなかった。
「張り紙が足りないのかな?」
もう少し色々な所に貼れればいいのだが、後、私が貼れそうな場所は大学しかなかった。正直、大学はあまり期待出来ない。
「仕方ないか……」
正直気乗りしない。でも仕方がないのだ。これも犬達の為だと私は強硬手段に出る事にした。
「茶トラ、白ウサギ、灰色狼。わかった? 良い子で待ってるんだよ」
凪が居酒屋のバイトに出かけた日。私は初めて3匹にお留守番を頼んだ。
何をされるか心配なのだが、仕方ない。
私は、張り紙を大量にバッグに詰めて、部屋の鍵をかけた。
「いらっしゃいませ~」
駅前の居酒屋「祭り」
凪からバイト先の場所を聞いてはいたのだが、来るのは初めてだった。
「お1人様ですか?」
「いえ……あの……。えっと……。な……いや、大澤君いますか?」
店員のお兄さんは一瞬ポカンとして、それからニヤニヤ笑い出した。
「凪の彼女? へー。あいつに彼女ねえ。ちょっと待ってて」
そう言って凪を呼びに行ってくれた。
「彼女じゃないし」
最近、誤解を生むことが多いから、凪のバイト先まで来るのは嫌だったのだ。
それでも仕方ない。全ては犬の為だ。
彼女に間違われることぐらい、どうって事ない。
私はレジ近くに置いてあったイスに座って、凪が現れるのを待った。
「あれ? 柚月さん。どうしたの?」
額に捻り鉢巻で、微妙な法被を着た凪が現れて、思わず噴出した。
童顔の凪がそんな格好をすると「お子様祭りの正装」みたいで、絶妙に似合っている。
「酷いなぁ。どうせ似合わないって思ったんでしょ?」
「違う。ごめん……に……似合って……」
似合いすぎたから吹いたのだ。
「いいよもう。で、どうしたの何かあった?」
「これ。凪のバイト先でも配って」
私は笑いを堪えながら、近くのテーブルに張り紙をドスンと置いた。
「あ……そういう事ね」
「そういう事。じゃ私、茶トラ達が心配だし帰るね。お店の人に頼んでよね」
「あっ! 待って!」
「何?」
「あ……いや。夜も遅いし心配だな」
「大丈夫だよ。だって行きも1人で歩いてきたし」
「いや……それでも」
「そんなに心配なら、今日は早く上がらせてやるから、彼女さんに待ってて貰いな」
凪の背後から野太い声が聞こえた。
どうしてこんな事に……。
私はカウンター席の端っこにポツンと座り、凪が走り回っている姿を見る羽目になった。
それにしても、あのバタバタして落ち着きなく走る姿が茶トラ達にそっくりだ。
本当に同族だなと思う。綺麗なお姉さんに手を振られて喜んでいる姿なんて茶トラにそっくり。茶トラは私限定だからまだ可愛い。でも凪はダメだ。あっちでもこっちでも愛想を振りまき過ぎる。
と、そこまで考えて自分がヤキモキした何とも言えない複雑な気持ちを抱えていることに気づく。
「送らないでいいって言ってるのに待たされてるからだな。きっと」
ご好意で出してもらったオレンジジュースを飲みながら、凪の仕事が終わるのを待っていると、野太い声の主「祭り」の店長さんが現れた。
手にはおかわりのオレンジジュースがあって益々恐縮してしまう。
「はい。もうちょっとかかりそうだからゴメンな。どう? 凪の働きっぷりは?」
「ありがとうございます。そうですね、とてもよく女性客に懐いているようで……」
「愛想がいいから、女性客には人気があるな。可愛いって」
「でしょうね」
お酒を飲んでいるお姉さま達から見れば、凪は本当に可愛い「犬」なんだろう。
でも……所詮は可愛い止まりなんだよね。本気で凪を好きになるお姉さんなんている訳ない。
絶対にそんなこと……ないのかな? ないよね?
私が何とも言えない表情をしているのを見た店長さんが「大丈夫」と大きな顔で笑う。
「そんなに心配そうな顔をしないでも、フラフラついて行きそうだったら、俺が怒って止めてやるから」
「心配なんかしてません。ついて行きそうなら放っておけばいいですから」
あくまで冷静に答えを返す。だって本当に私には関係がない事なのだから。
それでも凪が綺麗なお姉さんに尻尾を振ってついていく姿があまりにも容易に想像出来て、その想像を面白くないと思っている自分がいる。またしても女性客に話しかけられる凪を見ながら、私は店長さんがくれたジュースを複雑な感情のまま、一気に飲み干した。
そして……。
世界がグルッと回って倒れる瞬間に「柚月さん!」と焦る凪の声を聞いた……気がした。
「ん……」
頭が痛いし、気持ち悪い。
私……何があったんだっけ?
「…………さん? ……柚月さん?」
どこからか声が聞こえる。
「凪?」
凪じゃないのかな? 凪の声に聞こえたけど……。
「柚月さん?」
やっぱり凪だと安心した私は、側にあった温かい物を引き寄せて、また眠った。
「頭……いた」
割れそうな頭痛で目が覚めた。
「あれ?」
1番に視界に入ったのは、いつもの様に脱ぎ散らかされた凪の服と、山済みになった空き容器。
凪の服の上で3匹が固まって眠っている。
「あれ? 凪の部屋? なんで? いつ?」
嫌な予感がする。物凄く嫌な予感がする。
恐るおそる手を伸ばして、自分の横にある物体を確認しようとする。
触ってみるとそれはどうやら生物らしく、温かくて茶トラよりも随分と大きい。
落ち着くために1度深呼吸をして、恐るおそる布団をはぐと、私の横に凪が普通に寝ていた。
悲鳴を上げる前に、取りあえず、自分の着衣の様子を確認する。
良し! 昨日のままだ!
どうやら間違いは犯さなかったらしい。
そう確信した私は、心置きなく悲鳴を上げる事が出来た。
「……酷いよ」
いつものドッグランについた私達は、茶トラ達のリードを外して、柵にもたれ掛かって遊び終わるのを待っていた。
「ごめんって謝ったじゃん」
「……でも、痴漢って酷いよ」
「謝ったじゃん」
「……でも、僕の部屋なのに出て行ってって追い出したじゃん。僕30分以上外で立ってたよ」
「謝ったじゃん」
「まあ、全ての原因は店長だし、お陰で犬の引き取り手を探してくれるって約束したし、これも柚月さんが体を張ったからだね」
「まあね。望んでた訳ではないけどね」
昨日、店長さんがくれた2杯目のオレンジジュース。あれは「カシスオレンジ」という名のお酒だったのだ。どうりで少し色が違うな? とは思ったが、お酒の事を何も知らない私は一気に飲み干し、そして倒れた。
恐縮しきった店長さんが私に謝りたいと言ったそうで「それなら、この子達の飼い主を探してくれませんか? 店長の広い人脈ならきっと見つかります」と私の作った張り紙を見せながら、凪が交換条件を出したらしい。
その後バイト先を出た凪は私をおんぶしたまま家へと帰りついたが、私が一向に目を覚ます気配がないので、取りあえず自分の布団に私を寝かせた後、子犬達の存在を思い出して、私の了承を得た上で部屋へ侵入し、小犬達を連れてきて、みんなで一緒に眠った。
……というのが真相らしいけど、全然憶えてない。
「柚月さんの部屋って、柚月さんと茶トラの匂いがした」
「変態っぽいから、そういう事は言わないで」
「……酷いな」
体を張った一夜。
それで少しでも茶トラ達が幸せになれるのなら、不覚にも凪と一緒に寝てしまった経緯など安いものだ。
「張り紙が足りないのかな?」
もう少し色々な所に貼れればいいのだが、後、私が貼れそうな場所は大学しかなかった。正直、大学はあまり期待出来ない。
「仕方ないか……」
正直気乗りしない。でも仕方がないのだ。これも犬達の為だと私は強硬手段に出る事にした。
「茶トラ、白ウサギ、灰色狼。わかった? 良い子で待ってるんだよ」
凪が居酒屋のバイトに出かけた日。私は初めて3匹にお留守番を頼んだ。
何をされるか心配なのだが、仕方ない。
私は、張り紙を大量にバッグに詰めて、部屋の鍵をかけた。
「いらっしゃいませ~」
駅前の居酒屋「祭り」
凪からバイト先の場所を聞いてはいたのだが、来るのは初めてだった。
「お1人様ですか?」
「いえ……あの……。えっと……。な……いや、大澤君いますか?」
店員のお兄さんは一瞬ポカンとして、それからニヤニヤ笑い出した。
「凪の彼女? へー。あいつに彼女ねえ。ちょっと待ってて」
そう言って凪を呼びに行ってくれた。
「彼女じゃないし」
最近、誤解を生むことが多いから、凪のバイト先まで来るのは嫌だったのだ。
それでも仕方ない。全ては犬の為だ。
彼女に間違われることぐらい、どうって事ない。
私はレジ近くに置いてあったイスに座って、凪が現れるのを待った。
「あれ? 柚月さん。どうしたの?」
額に捻り鉢巻で、微妙な法被を着た凪が現れて、思わず噴出した。
童顔の凪がそんな格好をすると「お子様祭りの正装」みたいで、絶妙に似合っている。
「酷いなぁ。どうせ似合わないって思ったんでしょ?」
「違う。ごめん……に……似合って……」
似合いすぎたから吹いたのだ。
「いいよもう。で、どうしたの何かあった?」
「これ。凪のバイト先でも配って」
私は笑いを堪えながら、近くのテーブルに張り紙をドスンと置いた。
「あ……そういう事ね」
「そういう事。じゃ私、茶トラ達が心配だし帰るね。お店の人に頼んでよね」
「あっ! 待って!」
「何?」
「あ……いや。夜も遅いし心配だな」
「大丈夫だよ。だって行きも1人で歩いてきたし」
「いや……それでも」
「そんなに心配なら、今日は早く上がらせてやるから、彼女さんに待ってて貰いな」
凪の背後から野太い声が聞こえた。
どうしてこんな事に……。
私はカウンター席の端っこにポツンと座り、凪が走り回っている姿を見る羽目になった。
それにしても、あのバタバタして落ち着きなく走る姿が茶トラ達にそっくりだ。
本当に同族だなと思う。綺麗なお姉さんに手を振られて喜んでいる姿なんて茶トラにそっくり。茶トラは私限定だからまだ可愛い。でも凪はダメだ。あっちでもこっちでも愛想を振りまき過ぎる。
と、そこまで考えて自分がヤキモキした何とも言えない複雑な気持ちを抱えていることに気づく。
「送らないでいいって言ってるのに待たされてるからだな。きっと」
ご好意で出してもらったオレンジジュースを飲みながら、凪の仕事が終わるのを待っていると、野太い声の主「祭り」の店長さんが現れた。
手にはおかわりのオレンジジュースがあって益々恐縮してしまう。
「はい。もうちょっとかかりそうだからゴメンな。どう? 凪の働きっぷりは?」
「ありがとうございます。そうですね、とてもよく女性客に懐いているようで……」
「愛想がいいから、女性客には人気があるな。可愛いって」
「でしょうね」
お酒を飲んでいるお姉さま達から見れば、凪は本当に可愛い「犬」なんだろう。
でも……所詮は可愛い止まりなんだよね。本気で凪を好きになるお姉さんなんている訳ない。
絶対にそんなこと……ないのかな? ないよね?
私が何とも言えない表情をしているのを見た店長さんが「大丈夫」と大きな顔で笑う。
「そんなに心配そうな顔をしないでも、フラフラついて行きそうだったら、俺が怒って止めてやるから」
「心配なんかしてません。ついて行きそうなら放っておけばいいですから」
あくまで冷静に答えを返す。だって本当に私には関係がない事なのだから。
それでも凪が綺麗なお姉さんに尻尾を振ってついていく姿があまりにも容易に想像出来て、その想像を面白くないと思っている自分がいる。またしても女性客に話しかけられる凪を見ながら、私は店長さんがくれたジュースを複雑な感情のまま、一気に飲み干した。
そして……。
世界がグルッと回って倒れる瞬間に「柚月さん!」と焦る凪の声を聞いた……気がした。
「ん……」
頭が痛いし、気持ち悪い。
私……何があったんだっけ?
「…………さん? ……柚月さん?」
どこからか声が聞こえる。
「凪?」
凪じゃないのかな? 凪の声に聞こえたけど……。
「柚月さん?」
やっぱり凪だと安心した私は、側にあった温かい物を引き寄せて、また眠った。
「頭……いた」
割れそうな頭痛で目が覚めた。
「あれ?」
1番に視界に入ったのは、いつもの様に脱ぎ散らかされた凪の服と、山済みになった空き容器。
凪の服の上で3匹が固まって眠っている。
「あれ? 凪の部屋? なんで? いつ?」
嫌な予感がする。物凄く嫌な予感がする。
恐るおそる手を伸ばして、自分の横にある物体を確認しようとする。
触ってみるとそれはどうやら生物らしく、温かくて茶トラよりも随分と大きい。
落ち着くために1度深呼吸をして、恐るおそる布団をはぐと、私の横に凪が普通に寝ていた。
悲鳴を上げる前に、取りあえず、自分の着衣の様子を確認する。
良し! 昨日のままだ!
どうやら間違いは犯さなかったらしい。
そう確信した私は、心置きなく悲鳴を上げる事が出来た。
「……酷いよ」
いつものドッグランについた私達は、茶トラ達のリードを外して、柵にもたれ掛かって遊び終わるのを待っていた。
「ごめんって謝ったじゃん」
「……でも、痴漢って酷いよ」
「謝ったじゃん」
「……でも、僕の部屋なのに出て行ってって追い出したじゃん。僕30分以上外で立ってたよ」
「謝ったじゃん」
「まあ、全ての原因は店長だし、お陰で犬の引き取り手を探してくれるって約束したし、これも柚月さんが体を張ったからだね」
「まあね。望んでた訳ではないけどね」
昨日、店長さんがくれた2杯目のオレンジジュース。あれは「カシスオレンジ」という名のお酒だったのだ。どうりで少し色が違うな? とは思ったが、お酒の事を何も知らない私は一気に飲み干し、そして倒れた。
恐縮しきった店長さんが私に謝りたいと言ったそうで「それなら、この子達の飼い主を探してくれませんか? 店長の広い人脈ならきっと見つかります」と私の作った張り紙を見せながら、凪が交換条件を出したらしい。
その後バイト先を出た凪は私をおんぶしたまま家へと帰りついたが、私が一向に目を覚ます気配がないので、取りあえず自分の布団に私を寝かせた後、子犬達の存在を思い出して、私の了承を得た上で部屋へ侵入し、小犬達を連れてきて、みんなで一緒に眠った。
……というのが真相らしいけど、全然憶えてない。
「柚月さんの部屋って、柚月さんと茶トラの匂いがした」
「変態っぽいから、そういう事は言わないで」
「……酷いな」
体を張った一夜。
それで少しでも茶トラ達が幸せになれるのなら、不覚にも凪と一緒に寝てしまった経緯など安いものだ。