金木犀のエチュード──あなたしか見えない
「僕は泣いてばかり、愚図ってばかりいました。ご指導通りの演奏も納得のいく演奏もできないままだった……リリィにはヴァイオリンだけでなく、お作法や礼儀、話し方、色んなことを教わりました。僕はリリィに会わなかったら、きっと何にもできない人間だったと思うし、音楽を続けていなかったと思います。感謝しています」

祖母をリリィと呼ぶお弟子さんは、彼の他に知らない。

淡々とした口調からは、先ほど情熱的な演奏をしたヴァイオリ二ストとは思えない。

母と彼の会話が気になりながら、部屋を出る。

数分後、客間に入ってきた彼は澄まし顔だった。

しずしずと珈琲を勧める。

彼は「ありがとう」と、微かに笑みを浮かべた。

「ヴァイオリン、コンクールに出場するんですってね。母から楽譜を幾つか預かっていたの。貴方に渡すようにと」

彼は付箋紙を付けた分厚いファイルを受け取り礼を述べ、パラパラと目を通し鞄に丁寧に仕舞った。
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