青春のグラジオラス
 小説を読むときに、共感を得るというのはとても大切なことだ。物語の登場人物と自分とを重ね合わせて読み進めていくことで、より深く気持ちを理解していくことができる。自分が実際に体験している出来事のように捉えることができる。何も考えずにただ読むこととは違う話だ。

 けれど、僕が葛城奏の作品を読んで得ているものを共感と言ってしまうと、いろいろとややこしいことになってしまう。共感という言葉の定義づけを辞書的に説明なんかできやしないけど、それでも、僕が得ているものを共感と呼ぶのは否定しなければいけない。

 だったら僕が感じているものの正体は何なのか。本当はずっと複雑で、大雑把に説明するには値しないようなことなんだと思うけれど、敢えて一言で表すと同族嫌悪のようなものだ。

 一つのストーリーの中に自分が存在していて、同じような考えを持っていて、人間として堕落している。そいつを見ているだけでも吐き気がするぐらいに気持ち悪い。
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