寂しさを抱いて
第三章 心恋 ⑥
翌日、眩しい朝日に照らされて私は目を覚ました。時計を見ると現在八時半過ぎ。ちょっと寝すぎたかと思ったが、土曜日の今日は何も予定がないので特に焦りもしない。
彼方は矢野とデートだから、夕方ごろには報告の電話かメールが来るだろう。
私はベッドからのそのそと起き上がって朝ごはんを食べ、私服に着替える。休みの日でも、ちゃんと着替えないとすっきりしない。
「さて…」
珍しく時間もいっぱいあることだし、授業の復習でもするか。
私は通学鞄に入れっぱなしだった英語の教科書とノートを取り出して広げ、真面目に勉強を始めた。
一人きりの部屋は静かで、私がペンを走らせる音と掛け時計が時間を刻む音だけが響く。
カチ、カチ、カチ、カチ……。
これじゃまるで受験生だなと苦笑しながら、途中で昼食を食べたりトイレに行ったりする時間以外、私は部屋にこもって勉強した。
英語、古典、社会…と順調に復習を終え、数学の復習に移ろうとしたとき。
「あれ…?」
鞄を見ても、昨日学校から持って帰ってきたはずの数学の教科書がない。
「学校かなぁ…」
鞄の中にないといことは、学校に忘れてきたに違いない。
学校まで取りに行くのは面倒だが、来週の予習もあるし、どうせ駅二つ分なので取りに行った方がいいだろう。
決心した私は着ていた私服から制服に着替え、家を出た。いつの間にか日が暮れていて辺りは薄暗かった。
最寄駅から浜辺駅まで電車に乗り、駅に着いたところで携帯電話が鳴った。
そういえばこの時間だと彼方と矢野のデートも終わった頃だ。ということは、電話をかけてきたのは彼方だろう。
私はそこまで予想してから鞄の中に手を入れて携帯を取り出す。案の定、彼方からの電話だった。
「もしもし彼方?」
『…高ちゃん』
電話の向こうから聞こえてきたのは、どこかしょぼくれたような彼方の声だった。
「彼方、どうかしたの?デート楽しかった?」
『うぅ…ちゃん、…した…れた…』
どうらや電波が悪いらしく、途切れ途切れにしか聞こえなかったが、彼方の声のトーンから察するにあまりいい結果ではなかったらしい。
私はいったん電話を切って急いで駅から出て、電波の良い公園まで走って行ってベンチに座った。再び電話をかけ直すと、ようやく彼方の声がはっきり聞こえるようになった。
『今日ね…デートはいい感じだったの…途中まで。帰り際になるにつれて矢野君、どこかぼうっとしてるっていうか…遠くを見てるっていうか…。あたしを見てくれてなかった…』
「矢野が…そんなことを」
何となく、矢野が心ここにあらずな状態になっている様子は想像できたが、大好きな人に振り向いてもらえなかった彼方のことを思うと、私は胸がチクリと痛かった。
『それであたし…どうしても矢野君に見てほしくて…別れ際に言っちゃったの…』
「え、何を…?」
『矢野君のことが好きだって』
私は彼方の言葉を聞いて驚く。
彼方はああ見えて恥ずかしいがりなので、絶対に自分から「好き」なんて言えないと思っていたのだ。
「…告白したんだ」
『そう。…でも、やっぱり矢野君、あたしのこと見てくれなくて…。俯いてごめんって…』
「矢野が、ごめんって…?」
『…うん。あたしフラれちゃったんだ』
彼方がそう言った時、通話中の私の携帯が再び鳴って通話が途切れた。見ると「メール一件着信」と表示されていた。
私は一度彼方に電話をかけ直したが、彼方は電話に出なかった。もう会話をやめてつもりなのだろうか。それとも何か用事ができた?
彼方が出ないのなら仕方がないと思った私は、先程受信したメールを開いてあっと息をのんだ。
『突然ごめん。高木、今どこにいる?』
メールの送り主はなんと矢野だった。
今の今まで彼方から矢野の話を聞いていた私は動揺したが、無視するのも気が引けるので矢野に返信した。
『浜辺第一公園にいる』
もしかしたら彼方は、矢野の行動を知っていたのかもしれない。いや、知らなくとも矢野が私に連絡することを直感で感じていたのかも…。
とにかく私は動揺を抑え、矢野から返信が来るのを待った。
私がメールを送って一〇分後、矢野から返信があった。
『今からそっちに行くから待ってて』
その言葉を見た時、私は反射的に左の胸をぎゅっと抑えていた。トク、トク、トク…という鼓動がだんだんと速まっていくのを感じた。
矢野は私に会って何を言うのだろう…。
彼方とデートして、彼方を振った日に、私に会って一体何を…。
まだ彼が何のために私のところに来るのか分からないのに、私は少し胸が痛い。
「矢野…」
私が彼の名前を呟いた時、背後から声が聞こえた。
「高木!」
その声を聞くだけで、もう分かってしまったのに、私は振り返るのが怖くて知らぬふりをした。
「高木?」
いつまでも振り返らない私を怪訝に思った矢野は私の肩に手をかけてきた。私は一瞬ビクッと肩を震わせ、渋々矢野の方に振り返る。
それでもまだ私の顔が強張っていたからだろうか、矢野はいつものような仏頂面ではなく、優しい表情をして言った。
「これ、教室に忘れてただろ」
そう言って彼が差し出したのは、私が鞄の中にしまい忘れた数学の教科書だった。そいえば私は学校に教科書を取りに行く途中だったのだ。
「持って帰ってくれてたんだ…ありがとう」
彼の意外な優しさに、私は胸が熱くなるのを感じた。
そうか、矢野は最初から教科書を私に届けるためにわざわざ来てくれたんだ。
なあんだ、そんなことか。
勝手にくだらない想像をして胸が痛いだとか、バカみたいだ。
「ふふっ」
安心したところで自然と笑みがこぼれてくる。
そんな私を見た矢野は、
「どうした高木?」
と不思議そうに私を見つめる。
「ううん、なんでもない」
まさか矢野が、自分の忘れ物を届けに来てくれるなんて、微塵も考えていなかったから。
「高木」
私が安堵の笑みを浮かべていた時、不意に矢野が真面目な声で私を呼んだ。
その真剣な声色につられるように、私も笑うのをやめ表情を硬くした。
「どうしたの、矢野。そんなに改まっちゃって」
できるだけ冗談っぽく私は言った。
何だか嫌の予感がしたから、必死になって何でもないようなそぶりを見せた。矢野が次に発する言葉が、「今日は何してたんだ?」とか、「ちゃんと宿題やれよ」とかそういった取り留めもないことであるのを願った。
けれど、そんな私の願いも空しく彼は私の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「高木のことが好きだ」
翌日、眩しい朝日に照らされて私は目を覚ました。時計を見ると現在八時半過ぎ。ちょっと寝すぎたかと思ったが、土曜日の今日は何も予定がないので特に焦りもしない。
彼方は矢野とデートだから、夕方ごろには報告の電話かメールが来るだろう。
私はベッドからのそのそと起き上がって朝ごはんを食べ、私服に着替える。休みの日でも、ちゃんと着替えないとすっきりしない。
「さて…」
珍しく時間もいっぱいあることだし、授業の復習でもするか。
私は通学鞄に入れっぱなしだった英語の教科書とノートを取り出して広げ、真面目に勉強を始めた。
一人きりの部屋は静かで、私がペンを走らせる音と掛け時計が時間を刻む音だけが響く。
カチ、カチ、カチ、カチ……。
これじゃまるで受験生だなと苦笑しながら、途中で昼食を食べたりトイレに行ったりする時間以外、私は部屋にこもって勉強した。
英語、古典、社会…と順調に復習を終え、数学の復習に移ろうとしたとき。
「あれ…?」
鞄を見ても、昨日学校から持って帰ってきたはずの数学の教科書がない。
「学校かなぁ…」
鞄の中にないといことは、学校に忘れてきたに違いない。
学校まで取りに行くのは面倒だが、来週の予習もあるし、どうせ駅二つ分なので取りに行った方がいいだろう。
決心した私は着ていた私服から制服に着替え、家を出た。いつの間にか日が暮れていて辺りは薄暗かった。
最寄駅から浜辺駅まで電車に乗り、駅に着いたところで携帯電話が鳴った。
そういえばこの時間だと彼方と矢野のデートも終わった頃だ。ということは、電話をかけてきたのは彼方だろう。
私はそこまで予想してから鞄の中に手を入れて携帯を取り出す。案の定、彼方からの電話だった。
「もしもし彼方?」
『…高ちゃん』
電話の向こうから聞こえてきたのは、どこかしょぼくれたような彼方の声だった。
「彼方、どうかしたの?デート楽しかった?」
『うぅ…ちゃん、…した…れた…』
どうらや電波が悪いらしく、途切れ途切れにしか聞こえなかったが、彼方の声のトーンから察するにあまりいい結果ではなかったらしい。
私はいったん電話を切って急いで駅から出て、電波の良い公園まで走って行ってベンチに座った。再び電話をかけ直すと、ようやく彼方の声がはっきり聞こえるようになった。
『今日ね…デートはいい感じだったの…途中まで。帰り際になるにつれて矢野君、どこかぼうっとしてるっていうか…遠くを見てるっていうか…。あたしを見てくれてなかった…』
「矢野が…そんなことを」
何となく、矢野が心ここにあらずな状態になっている様子は想像できたが、大好きな人に振り向いてもらえなかった彼方のことを思うと、私は胸がチクリと痛かった。
『それであたし…どうしても矢野君に見てほしくて…別れ際に言っちゃったの…』
「え、何を…?」
『矢野君のことが好きだって』
私は彼方の言葉を聞いて驚く。
彼方はああ見えて恥ずかしいがりなので、絶対に自分から「好き」なんて言えないと思っていたのだ。
「…告白したんだ」
『そう。…でも、やっぱり矢野君、あたしのこと見てくれなくて…。俯いてごめんって…』
「矢野が、ごめんって…?」
『…うん。あたしフラれちゃったんだ』
彼方がそう言った時、通話中の私の携帯が再び鳴って通話が途切れた。見ると「メール一件着信」と表示されていた。
私は一度彼方に電話をかけ直したが、彼方は電話に出なかった。もう会話をやめてつもりなのだろうか。それとも何か用事ができた?
彼方が出ないのなら仕方がないと思った私は、先程受信したメールを開いてあっと息をのんだ。
『突然ごめん。高木、今どこにいる?』
メールの送り主はなんと矢野だった。
今の今まで彼方から矢野の話を聞いていた私は動揺したが、無視するのも気が引けるので矢野に返信した。
『浜辺第一公園にいる』
もしかしたら彼方は、矢野の行動を知っていたのかもしれない。いや、知らなくとも矢野が私に連絡することを直感で感じていたのかも…。
とにかく私は動揺を抑え、矢野から返信が来るのを待った。
私がメールを送って一〇分後、矢野から返信があった。
『今からそっちに行くから待ってて』
その言葉を見た時、私は反射的に左の胸をぎゅっと抑えていた。トク、トク、トク…という鼓動がだんだんと速まっていくのを感じた。
矢野は私に会って何を言うのだろう…。
彼方とデートして、彼方を振った日に、私に会って一体何を…。
まだ彼が何のために私のところに来るのか分からないのに、私は少し胸が痛い。
「矢野…」
私が彼の名前を呟いた時、背後から声が聞こえた。
「高木!」
その声を聞くだけで、もう分かってしまったのに、私は振り返るのが怖くて知らぬふりをした。
「高木?」
いつまでも振り返らない私を怪訝に思った矢野は私の肩に手をかけてきた。私は一瞬ビクッと肩を震わせ、渋々矢野の方に振り返る。
それでもまだ私の顔が強張っていたからだろうか、矢野はいつものような仏頂面ではなく、優しい表情をして言った。
「これ、教室に忘れてただろ」
そう言って彼が差し出したのは、私が鞄の中にしまい忘れた数学の教科書だった。そいえば私は学校に教科書を取りに行く途中だったのだ。
「持って帰ってくれてたんだ…ありがとう」
彼の意外な優しさに、私は胸が熱くなるのを感じた。
そうか、矢野は最初から教科書を私に届けるためにわざわざ来てくれたんだ。
なあんだ、そんなことか。
勝手にくだらない想像をして胸が痛いだとか、バカみたいだ。
「ふふっ」
安心したところで自然と笑みがこぼれてくる。
そんな私を見た矢野は、
「どうした高木?」
と不思議そうに私を見つめる。
「ううん、なんでもない」
まさか矢野が、自分の忘れ物を届けに来てくれるなんて、微塵も考えていなかったから。
「高木」
私が安堵の笑みを浮かべていた時、不意に矢野が真面目な声で私を呼んだ。
その真剣な声色につられるように、私も笑うのをやめ表情を硬くした。
「どうしたの、矢野。そんなに改まっちゃって」
できるだけ冗談っぽく私は言った。
何だか嫌の予感がしたから、必死になって何でもないようなそぶりを見せた。矢野が次に発する言葉が、「今日は何してたんだ?」とか、「ちゃんと宿題やれよ」とかそういった取り留めもないことであるのを願った。
けれど、そんな私の願いも空しく彼は私の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「高木のことが好きだ」