寂しさを抱いて
第四章 寂寞 ②
こうして私たちはお互いの意見を尊重してこれからも友達でいることになった。
私が矢野にこのことを話すと、彼も心底安堵した様子だった。
「とりあえず、雪野に分かってもらえて良かった。雪野とちゃんと話してくれてありがとな、高木」
「ううん、私は自分のしたいようにしただけだから。今すぐには彼方と前みたいに話せないかもしれないけど、彼方の気持ちが落ち着いたらまた二人で遊びにでも行くつもりだよ」
「そうか」
矢野は私の言葉聞いて心底安堵したように顔をほころばせた。私もそんな矢野を見ていると、ここ数週間ずっと霧がかかったみたいにもやもやしていた心が、すっと晴れるような気がした。
それからまた私たちはぎこちないながらも他愛のない話をした。しばらくすると徐々にクラスメイトが入ってきて、最後に担任の坂井先生がやって来てホームルームが始まった。
「はい皆席について。今日は席替えをしますよ」
坂井先生は若い女性の先生にもかかわらず、いつもハキハキと話して授業も分かりやすいので生徒から絶大な人気を集めている。それに、何と言っても美人だしね。
そんな先生が朝から席替えをすると言い出したので、クラスの皆どこか嬉しそうだ。
いや、正確に言うと“皆”ではない。
少なくとも私はちっとも嬉しくない。
ふと隣を見ると、彼も少し落胆した様子で話を聞いていた。その様子を見ると、私は彼が自分と同じ気持ちだということが分かって嬉しくて、同時に、こんな些細なことで落胆したり嬉しかったりすることがちょっとおかしかった。
「席、離れちゃうね」
「そうだな」
彼はやっぱりぶっきらぼうにそう言った。さっきの様子だと、本当は席替えをしたくないと思ってるに違いないが、私にはそんなこと言えないようだ。
「じゃあ一番右の列の人からクジ引いてね」
坂井先生はそう言うと、クジが入った紙の箱を右の列の一番前の生徒に渡した。クジって、最初に引くか最後に引くかで揉めるものだけど、実際はいつ引いても確率は変わらないことを私たちは皆知っていたので先生の提案に異論はなかった。それに、なんてったって坂井先生の指示だしね。
クジを引き終わった人から順に黒板に書かれた座席表に名前を書き込んでいく。私は不幸なことに、一番前の、しかも教卓の真ん前になってしまった。席を移動してから、坂井先生が「残念でした!」というように私にアイコンタクトをしてくる。…先生、絶対楽しんでるよね。
それから私はふと思い出して後ろを振り返った。すると、これまた不幸なことに矢野が私と同じ列の一番後ろにいることに気づいた。もっとも、彼にとっては一番後ろでラッキーなのかもしれないけれど。
「はーい、皆移動したわね。それじゃあ一か月間は今の席で我慢してね」
坂井先生は爽やかにそれだけ言って教室から出ていった。ちなみに先生の科目は社会だが、今日の一限目は数学だ。
「やったー、俺また後ろ」
「いいなー」
「あたしなんて、三連続一番前よ」
先生がいなくなった教室では、席替えをして喜ぶ者、落胆する者の様々な声が飛び交っている。高校生でもこういうところは皆小さな子供みたいだ。
かくいう私はもちろん落胆組だが。
「高木…一か月頑張ろうな…」
げんなりとした声でそう言ったのは、新しく私の隣の席になった紫(し)野(の)裕(ゆう)という男子だ。
私の隣の席ということは彼も教卓の目の前の席ということであって、彼にとってはどうやら死活問題のようだ。
「高ちゃん」
不意に右隣から声がしたので、紫野君から目を離して振り返ると私の右隣には彼方がいた。
「なんか、運命だね」
「ははっ、そうだね」
私はさっきまで自分が教卓の目の前の席になったことで頭がいっぱいだったので、まさか自分の隣に彼方がいるとは思わなかった。
要するに、最前列には右から彼方、私、紫野君が並んでいるということになる。
彼方は、私と隣になって気まずいのかな、と思ったりもしたがその日の授業では特に何の支障もなく隣の席で過ごせた。昼休みも、私と彼方は自分の席でお弁当を食べていたので、自然と会話もでき、私はこの席になったことにちょっと感謝した。
放課後になると、さすがに彼方も遠慮したのか「また明日」と言って颯爽と帰って行った。
彼方がさっそと帰ってしまったので、私は後ろの席にいる矢野のところまで行って
「一緒に帰ろう」
と言った。
「おう」
矢野から快い返事が返ってきただけで私は何だか嬉しくなり、矢野にばれないように俯きながら笑った。
「高木、どうした?気分でも悪いのか」
「う、ううん!なんでもない!」
矢野はどこまでも誠実な人なので、純粋に私のことを心配してくれたようだ。当の私はニヤニヤが止まらなかった。
こうして私たちは付き合いだしてから初めて一緒に下校することになった。こういうシーンは、私も何度も夢に描いてきたが、いざ自分が好きな人と一緒に下校するとなると、何だかどこかこそばゆくて、すぐ隣に彼がいるのにまともに話すこともできなかった。
「そ、そういえば矢野はまた一番後ろの席なんだね」
同じ学校、同じクラスといえば、やはり今日の一大イベントの話をするのがいいだろう、と考えた私は、先程から律儀に私の遅い歩行ペースに合わせてゆっくり隣を歩いてくれている彼に訊いた。
「そうそう、また後ろなんだ。たまにはもっと前の方にも座ってみたいんだけど」
「えー、いいじゃん後ろの席。二回連続なんて、矢野はすっごいクジ運いいよ」
「…俺にとっては運悪いんだけど」
「え、どうして?」
「いや、だって」
「だって?」
私は矢野が何で運が悪いなんて言うのか分からず、彼の顔を覗き込んでじっと彼の目を見つめた。
すると、彼の頬がみるみる赤くなり、しまいにはさっきにやけが止まらなくて俯いた私と同じように、私がいない右側にすこしだけ顔をそらしてぼそっと言った。
「…高木が、前にいるから」
「えっ…それって私と離れたのが寂しいってこと?」
「それもあるけど…、お前が隣の紫野と楽しそうに話してたからっ」
覗き込むように見つめていた私から目をそらし、真っ赤な顔でそういう彼はとても恥ずかしそうにしていた。
「そ、そそそそそれって…」
つまり…。
「…悪いな、嫉妬なんかして」
嫉妬!
あの、ぶっきらぼうなのに格好良くて、女子から人気者の矢野が!
私が紫野君とちょっと話してただけで嫉妬するなんて!
「わ、私こそごめんね!矢野に見られてるなんて思ってもなくて…。今度から気をつけるねっ」
「いや…別に喋るなとは言ってないし…ごめん、俺ヘンなこと言った。あーっ、何なんだ俺、こんなとこ誰かに見られたら終わりだな」
「矢野……」
言いたい。
今、すごく言いたい。
「ん?」
うん、もう言ってしまおう。
「…めちゃくちゃかわいい」
こうして私たちはお互いの意見を尊重してこれからも友達でいることになった。
私が矢野にこのことを話すと、彼も心底安堵した様子だった。
「とりあえず、雪野に分かってもらえて良かった。雪野とちゃんと話してくれてありがとな、高木」
「ううん、私は自分のしたいようにしただけだから。今すぐには彼方と前みたいに話せないかもしれないけど、彼方の気持ちが落ち着いたらまた二人で遊びにでも行くつもりだよ」
「そうか」
矢野は私の言葉聞いて心底安堵したように顔をほころばせた。私もそんな矢野を見ていると、ここ数週間ずっと霧がかかったみたいにもやもやしていた心が、すっと晴れるような気がした。
それからまた私たちはぎこちないながらも他愛のない話をした。しばらくすると徐々にクラスメイトが入ってきて、最後に担任の坂井先生がやって来てホームルームが始まった。
「はい皆席について。今日は席替えをしますよ」
坂井先生は若い女性の先生にもかかわらず、いつもハキハキと話して授業も分かりやすいので生徒から絶大な人気を集めている。それに、何と言っても美人だしね。
そんな先生が朝から席替えをすると言い出したので、クラスの皆どこか嬉しそうだ。
いや、正確に言うと“皆”ではない。
少なくとも私はちっとも嬉しくない。
ふと隣を見ると、彼も少し落胆した様子で話を聞いていた。その様子を見ると、私は彼が自分と同じ気持ちだということが分かって嬉しくて、同時に、こんな些細なことで落胆したり嬉しかったりすることがちょっとおかしかった。
「席、離れちゃうね」
「そうだな」
彼はやっぱりぶっきらぼうにそう言った。さっきの様子だと、本当は席替えをしたくないと思ってるに違いないが、私にはそんなこと言えないようだ。
「じゃあ一番右の列の人からクジ引いてね」
坂井先生はそう言うと、クジが入った紙の箱を右の列の一番前の生徒に渡した。クジって、最初に引くか最後に引くかで揉めるものだけど、実際はいつ引いても確率は変わらないことを私たちは皆知っていたので先生の提案に異論はなかった。それに、なんてったって坂井先生の指示だしね。
クジを引き終わった人から順に黒板に書かれた座席表に名前を書き込んでいく。私は不幸なことに、一番前の、しかも教卓の真ん前になってしまった。席を移動してから、坂井先生が「残念でした!」というように私にアイコンタクトをしてくる。…先生、絶対楽しんでるよね。
それから私はふと思い出して後ろを振り返った。すると、これまた不幸なことに矢野が私と同じ列の一番後ろにいることに気づいた。もっとも、彼にとっては一番後ろでラッキーなのかもしれないけれど。
「はーい、皆移動したわね。それじゃあ一か月間は今の席で我慢してね」
坂井先生は爽やかにそれだけ言って教室から出ていった。ちなみに先生の科目は社会だが、今日の一限目は数学だ。
「やったー、俺また後ろ」
「いいなー」
「あたしなんて、三連続一番前よ」
先生がいなくなった教室では、席替えをして喜ぶ者、落胆する者の様々な声が飛び交っている。高校生でもこういうところは皆小さな子供みたいだ。
かくいう私はもちろん落胆組だが。
「高木…一か月頑張ろうな…」
げんなりとした声でそう言ったのは、新しく私の隣の席になった紫(し)野(の)裕(ゆう)という男子だ。
私の隣の席ということは彼も教卓の目の前の席ということであって、彼にとってはどうやら死活問題のようだ。
「高ちゃん」
不意に右隣から声がしたので、紫野君から目を離して振り返ると私の右隣には彼方がいた。
「なんか、運命だね」
「ははっ、そうだね」
私はさっきまで自分が教卓の目の前の席になったことで頭がいっぱいだったので、まさか自分の隣に彼方がいるとは思わなかった。
要するに、最前列には右から彼方、私、紫野君が並んでいるということになる。
彼方は、私と隣になって気まずいのかな、と思ったりもしたがその日の授業では特に何の支障もなく隣の席で過ごせた。昼休みも、私と彼方は自分の席でお弁当を食べていたので、自然と会話もでき、私はこの席になったことにちょっと感謝した。
放課後になると、さすがに彼方も遠慮したのか「また明日」と言って颯爽と帰って行った。
彼方がさっそと帰ってしまったので、私は後ろの席にいる矢野のところまで行って
「一緒に帰ろう」
と言った。
「おう」
矢野から快い返事が返ってきただけで私は何だか嬉しくなり、矢野にばれないように俯きながら笑った。
「高木、どうした?気分でも悪いのか」
「う、ううん!なんでもない!」
矢野はどこまでも誠実な人なので、純粋に私のことを心配してくれたようだ。当の私はニヤニヤが止まらなかった。
こうして私たちは付き合いだしてから初めて一緒に下校することになった。こういうシーンは、私も何度も夢に描いてきたが、いざ自分が好きな人と一緒に下校するとなると、何だかどこかこそばゆくて、すぐ隣に彼がいるのにまともに話すこともできなかった。
「そ、そういえば矢野はまた一番後ろの席なんだね」
同じ学校、同じクラスといえば、やはり今日の一大イベントの話をするのがいいだろう、と考えた私は、先程から律儀に私の遅い歩行ペースに合わせてゆっくり隣を歩いてくれている彼に訊いた。
「そうそう、また後ろなんだ。たまにはもっと前の方にも座ってみたいんだけど」
「えー、いいじゃん後ろの席。二回連続なんて、矢野はすっごいクジ運いいよ」
「…俺にとっては運悪いんだけど」
「え、どうして?」
「いや、だって」
「だって?」
私は矢野が何で運が悪いなんて言うのか分からず、彼の顔を覗き込んでじっと彼の目を見つめた。
すると、彼の頬がみるみる赤くなり、しまいにはさっきにやけが止まらなくて俯いた私と同じように、私がいない右側にすこしだけ顔をそらしてぼそっと言った。
「…高木が、前にいるから」
「えっ…それって私と離れたのが寂しいってこと?」
「それもあるけど…、お前が隣の紫野と楽しそうに話してたからっ」
覗き込むように見つめていた私から目をそらし、真っ赤な顔でそういう彼はとても恥ずかしそうにしていた。
「そ、そそそそそれって…」
つまり…。
「…悪いな、嫉妬なんかして」
嫉妬!
あの、ぶっきらぼうなのに格好良くて、女子から人気者の矢野が!
私が紫野君とちょっと話してただけで嫉妬するなんて!
「わ、私こそごめんね!矢野に見られてるなんて思ってもなくて…。今度から気をつけるねっ」
「いや…別に喋るなとは言ってないし…ごめん、俺ヘンなこと言った。あーっ、何なんだ俺、こんなとこ誰かに見られたら終わりだな」
「矢野……」
言いたい。
今、すごく言いたい。
「ん?」
うん、もう言ってしまおう。
「…めちゃくちゃかわいい」