BORDER LINE
★【Side.朝倉】
私に、絵を描くことを教えたのは母だった。

———キレーなものを描きましょう。

それが、母の口癖だった。

私が幼い頃、母と、父と、住んでいた家には、屋根裏部屋があった。

埃っぽく、油絵の具の匂いがキツく立ちこめた屋根裏部屋は、私と、母だけのトクベツな空間であった。

母は、父でさえも、その屋根裏部屋に招くことはなかったのだ。

———絵描きは孤独なものよ。

———キャンバスは絵描きの心。

———ホンモノの絵描きは、たった一人で、もう一人の自分に立ち向かうのよ。

———カスミちゃんも、大きくなったら、自分だけのアトリエを持たなくちゃいけないわ。

———だって、カスミちゃんは、ホンモノの絵描きになる子ですもの。

母は、暇さえあれば、屋根裏部屋へこもり、古鏡の前にキャンバスを立て掛けた。

———キレーなものを描きましょう。

母は、彼女の自画像ばかりを描いた。

私は、別段、彼女がオカシイとは思われなかった。

私は、疑いなく、彼女を最上の母だと信じていたのだ。

チラホラ混じりはじめた白髪も、

彼女の優しさを際立たせる目元の小ジワも、

引っくるめて、彼女が、世界一キレーな女だと信じていたのだ。

私にも、確かに、世界が私と母だけと思われた時期があったのだ。
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