記憶の中の彼


わたしは突然、五センチ先にある彼の手に触れたいと思ったことに驚いた。

視覚情報が少ない分、彼の息遣い、体温を感じる。

「ねえ、しりとりしようよ」

「しりとり?ムードないな」

だからするんだよ、とは言えない。

「はい、りんご」

わたしが勝手にはじめると、結局彼も続けてくれた。

「ゴリラ」

「らくだ」

「大工」

「くつ」

しりとりは五分ほど続き、キリがないと思いつつ、互いにちょっとした対抗心が芽生え、止めようと言い出せない。

部屋がパっと明るくなり、目がくらんだ。

「電気、点いたよ」

「ああ、点いた」

ここで二人しりとり大会は決着がつかぬままに自然消滅した。
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