プリーズ・ミスター・ポストマン

過去と純愛

雨は、だんだんとひどくなってきた。教室から遠く離れた部室のプレハブに、強い雨の連弾が奏でられる。粒ぞろいのパッセージのように、美しく響く雨音だった。
「今日は、お疲れ様」
私は、恭一をねぎらった。本当にそう思っていた。恭一は、確かに私が知らない過去を持っているが、聞き出そうとするようなことはするまい。傷口に塩をすりこむことはしたくない。
「サンキュー」
恭一は、じっと考え込んでいたが、いつものように笑ってくれた。その笑顔が、どんなにか私をほっとさせてくれるものであっただろう。
「あ、最後の仕分け、しようか」
「おう」
私たちは、赤い郵便バッグから、集荷してきた「郵便物」を、おんぼろ木製デスクの上に並べた。
「明日から、何もしなくていいって、なんだか不思議な気分」
「そうだな。今日のうちに、『ポスト』は撤去しに行かないとな」
そんなことを言いながら、二人で仕分けをしていると、部室のドアがノックされた。雨音に負けないように、だが静かに。
「はい」
私がドアを開けると、そこにはレインコートをはおった一ノ瀬さんがいた。
「結城殿は」
「はい、そこに」
恭一も振り向いて驚いている。
「あんた、どうしたんだよ」
「結城殿」
一ノ瀬さんは、制服のポケットから一通の手紙を取り出した。手紙、というよりは「文」だ。みずみずしい梅の枝を手折って、そこにうっすらと桃色に染められた文をくくりつけている。まるで平安貴族の文のようだ。
「これを、あなたに」
「俺に……? 」
「郵便部最後の手紙、しかと届けてください。あなた自身に」
一ノ瀬さんは、恥ずかしそうにほほ笑んだ。そんな彼女を、恭一はぼんやり見つめていた。
「あの、一ノ瀬さん。美紀のことは……」
「全て、その手紙に書いています。お読みください。私の思いも」
そこまで言うと、一ノ瀬さんは、一礼して出ていった。すりガラスの窓に、親衛隊に囲まれた一ノ瀬さんが、コートの裾を翻して自転車にスマートに乗り込むところが映った。
「一ノ瀬さんの手紙は、最後にしていいか? お前にも、俺の話を聞いてもらいたいし、どうやらこの手紙はそれに関係あるようだ」
恭一が、梅の枝と文をそっと部室の隅にあるコーヒーポットの置いてあるこぎれいな棚に置いた。私に異論はなかった。
「……さっきの話、聞いてただろ? あれって思わなかったか? 」
仕分けの手を休めず、恭一が言う。私は、先ほどからの二人の会話を思い出していた。
「美紀って、あんた言ったよね。誰なの? 」
「お、さすがは俺の幼なじみ、嗅覚抜群」
おどけてみせてから、恭一はちょっとうつむいた。
「二村美紀。知ってるか? 」
「うーん……ちょっと覚えてないな」
「無理もないよ」
恭一は、また仕分けを始める。美術部室へのベンゼン先生の手紙を束にしていく。
「俺たちの、二個上の先輩だったんだ。『郵便部』のな」
「そうだったの」
「俺、美紀先輩が好きだったんだよ。『郵便部』で、うちのクラスに配達に来ることが多かった先輩に、いつのまにか憧れてな。そして、ラブレターを書いたんだ。思い切って、『学内便』を使って。そうしたら、次の日に返事が来た。先輩も俺が気になっていたらしくて、オーケーをもらえたんだ。その手紙ってのが、『文』といったほうがいい代物でな。ブルーの紙が、優雅にツユクサの茎に結び付けられていた。まだそのツユクサは、ドライフラワーにして持っているよ」
「まるで、一ノ瀬さんの手紙のようね」
「ふっふっ、話は最後までお聞きあれ。……でな、それをきっかけに俺は『郵便部』に入った。部員は俺と先輩だけ、いつも二人きりで、仲良く配達と仕分けをして……幸せだった。だが、ある日、美紀は……」
恭一は、ふっと遠いほうを見やった。仕分けの手を止めて、窓を開け、雨が降りしきる曇天を眺めやる。
「美紀は、死んだ。配達途中に、階段から足を滑らせたんだ。こんな雨の日だった。そして、入院していたが、頭の打ちどころが悪くて、結局助からなかった。その日は、俺は風邪で休んでいて、美紀一人が仕分けと配達をしなければいけなかったんだ。俺が休んでいなければ、美紀は死なずに済んだんじゃないかって、今でもそう思うよ。それで、せめて美紀が情熱を傾けた『郵便部』を続けよう、たとえ俺一人になっても……思ったんだ。受験も近いから、手伝いにお前を頼んだが、今でもこの部室には美紀がいる気がするよ」
「そう……あんた、女好きだと思ってたから、そんなことがあったなんて全然知らなかった」
 恭一は、少し歯をのぞかせた。そして、窓を静かに閉めた。
「いつもの軟派な俺は、演技さ。女子達って、女にだらしない男は適当にあしらうだろ? だから、そんなふりをすれば、もう恋はしなくていいと思った。『初恋』を残しておきたかったんだ……。誰だって、『自分にはこの人』と思える瞬間があるって聞いたけど、俺には美紀がそうだったんだ。ちょっと早すぎて、美紀を失ったら残りの人生は喪の道になってしまったがな」
 私には、何も言えなかった。恭一は、確かに過去を背負っていた。だが、その過去は、彼にとっては思い出深く、宝石箱のようにきらめく美しい幻なのだ。その幻を今でも愛し続けるがゆえに、他の女子を遠ざけるべく、女好きのふりをしていたとは、気づかなかった。

「さて、一ノ瀬さんの手紙、開けてみるかな」
仕分けも終わりに近づいたころ、話して気分が少し穏やかになったらしい恭一が、一ノ瀬さんの「文」を手にした。
「これが、郵便部最後の仕分けか。配達は誰よりも先、俺宛に。俺に手紙をくれ人なんて、美紀が死んでからいなかったのにな」
恭一は、優しく微笑んで枝にからませるようにくくりつけられた「文」を手にした。 
 恭一は、しばらく目を「文」の上で滑らせるように読んだ。そして、うっすらと笑みを浮かべた。
「許してくれるんだってさ」
恭一は、私に向かっておどけるようにガッツポーズをしてみせたが、やがてゆるゆると緊張がほどけるように笑った。
「よく、一ノ瀬さんの達筆な筆跡が読めたわね」
「そりゃ、読めるさ。美紀も達筆だったからな」
「達筆……花に結んだ『文』……二人とも、似てるわね」
「お、いい線行ってますぞ」
恭一は、「文」を丁寧にたたんだ。そして、梅の枝を部室の花瓶に差した。
「そう、美紀と一ノ瀬さんは姉妹なんだ。親が離婚しているから、名字は違うけどな。性格は大違いだが、確かに似てるな。時代がかった言い回しも、そうなんだ。俺は美紀からうつったが、あの姉妹の特徴なんだ」
恭一は、インスタントコーヒーを淹れ始めた。
「一ノ瀬さん……ま、俺たちの言葉では『真生ちゃん』だったんだが、彼女は、『郵便部』がなければたったひとりの姉は死なずにすんだと思っていたんだ。それで、『郵便部』をつぶすことを、目的の一つとして生徒会長になったんだ。俺も、『郵便部』の存在が美紀を殺したかもしれないとは思っていた。だが、そのためにつぶすのではなくて、いかに彼女の遺志を受け継いで存続できるかを考えていて、真生ちゃんとは合わなかった。それで、敵視されていたようなものだな。そこで折り合わなかったが、彼女、書いてきてくれたよ。『全て許します』ってな。俺は、彼女に許されるためにも、『郵便部』の活動をしてきたのかもしれないな……」
「一ノ瀬さんの思いって? 」
「ほんとに嗅覚抜群だな」
恭一は、照れたようににやにやした。
「最後の方に、一行だけ、『想っています』とあった。どういう意味かは、なんとなくわかるが、真生ちゃんの想いは、俺には受け止められない。美紀がいるからな。そこも分かっているとみえて、『姉に全てを託します』ともあったよ。なんだかんだで、優しいんだ、真生ちゃんは」
私は、「決闘」のあと、一瞬おとめの姿をたたえた一ノ瀬さんを思い出した。あの「決闘」、若くして命を奪われた姉のようには、「真生ちゃん」を撃ちたくない……そんな恭一の優しさに触れた一ノ瀬さんは、きっと恋をしたのだ。だが、亡くなった姉が、好きになった人の心を持ち去ってしまっている……ゆえに、ひかえめに自分の思いを「文」に託したのだろう。
「美紀先輩といい、一ノ瀬さんといい、ベンゼン先生といい、この『学内便』は、『恋愛便』ね」
「おっ、うまいね」
インスタントコーヒーを紙コップに注いでくれた恭一の手から、カップを受け取って、私たちは休憩をした。寒い部室にコーヒーのぬくもりと芳香が広がる。
 「学内便」の温かさは、今日と明日でもうおしまい。これからポスト撤去作業をして、明日配達したら、もう部活はおしまいだ。
 ちょうど、後継者もいなかった、ささやかな「郵便部」という伝統ある部活は、幕を閉じるのだ。
 そのとき、ちりんちりんと音がした。自転車のベルだ。
「はーい、お二人さん」
ベンゼン先生が、グローブをしていない手をこすりあわせて、寒そうに入ってきた。
「あ、先生。今、仕分けが終わったところです」
「ご苦労様。あのね、これ内緒なんだけど、あなたたちのこれまでの活動に少しでも報いるべく、明日の放課後、部室で打ち上げしましょ。お菓子とソフトドリンクでね」
「美術部も呼んでいいですか? 」
「僕たちが呼ばれないわけがあろうか、いやない」
げっそりした山崎先生が、ドアの向こうから顔をのぞかせた。どうやらベンゼン先生に連行されたらしい。
「漢文の授業のためになりまする! 」
にやにやしながら、恭一が大げさに一礼した。思わず山崎先生もつられて笑う。私は恭一をちょっとたしなめてから、先生にお礼を言った。
「今まで、『切手』の監修をありがとうございました」
「いや、いいんだ。こちらも勉強になった。あの小さな空間にデザインするのは思いのほか難しくてね。まさに、『切手』は小さな芸術品だよ」
山崎先生も、感慨深そうだ。
「ベンゼン先生、明日のお菓子、今日から買出しに行きませんか~? 」
「よしこい」
ベンゼン先生は、たくましい声で親指をぐっと立てた。そこで皆で笑った。
 ……美紀さん。あなたの遺志を永らえることはできなかったけれど、この部活、とても楽しかったです。どうか、安らかにお眠りください。
 
 私たちは、部室を出る時、もう一度空気を吸った。それは、恭一と美紀先輩の甘く苦い恋の味、一ノ瀬さんの片思いの、ほの酸っぱい味がした。
 恭一は、ドアを閉める前に、ゆっくり言った。
「じゃあな、美紀。また明日」
きっと、それは毎日心の中で彼が言ってきた言葉なのだろう。それを、口にすることができるようになってよかった。
 いつの間にか雨は止んで、夜空には月が浮かんでいた。
 青南高校郵便部、明日で廃部。青春の詰まった、手紙の束を手に駆け抜けた日々。
 明日最後の配達では、じっくり聴こう。 「プリーズ・ミスター・ポストマン」を。

                                   (了)   





 
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