愛すれど…愛ゆえに…
その日の夕方、
洋佑の車で国道4号線を走り交差点を左折して、いつも行く文具店へと向う。
園を出て現地に着くまで洋佑は一言もしゃべらなかった。
大通り沿いにある婚式場向かいのいつも利用するコインパーキングに到着し、
洋佑はいつも通り、そのパーキングに駐車する。
(東京足立区、千代田線通り)
車から降りた私の関心を真っ先にひいた光景は、
向かいにある大きなガラス張りの結婚式場。
ライトアップされた階段を、
たくさんの友人知人から祝福を受けながら下りてくる、
淡いピンクのブーケを持った、純白のウェディングドレス姿の花嫁。
ガラス越しだけど、どの顔にも幸せを分かち合う笑顔が溢れてる。
階段途中で立ち止まった花嫁の手からブーケが離れ宙に舞った途端、
タキシード姿の男性に手を引かれていた花嫁は、
満面の笑みで男性に飛びついた。
そんな微笑ましい光景に見入っていた私だったけど、
思わず洋佑の腕を掴んで結婚式場を指さす。
洋佑はその光景に目をやってすぐ私に視線を戻し、
無言で訴える私の表情から何かを察している。
(東京足立区、千代田線通り)
伊吹「見て。結婚式してる」
洋佑「綺麗だな。花嫁さん」
伊吹「うん。とっても幸せそう……」
洋佑「オホン!
俺たちが何事もなく順調に付き合っていたら、
目の前のあの光景は、2年前の俺と伊吹の姿だったんだけどな」
伊吹「洋佑」
洋佑「今さら言うと負け惜しみみたいだし、
また昔を蒸し返すって言われそうだから、
敢えて詳しくは言わないけど。
でも、今の俺たちにもそうなる可能性はまだある」
伊吹「えっ」
洋佑「あとは伊吹次第だ。
忘れろ。あんな男のこと」
伊吹「あ、あの、私……」
洋佑「まったくお前ってやつは。
また泣いてると目が腫れ上がるぞ(笑)
ほら、店が閉まるから急いで行くぞ」
伊吹「う、うん」
歩きながらじっと結婚式場の様子を見ている私の手を取って、
洋佑が歩道を右へ進もうをしたその時。
私は急に力なく下を向いたままその場にしゃがみ込んだ。
彼は私から引っ張られた格好で立ち止まる。
震えながら大粒の涙を流してしゃがみ込む私の肩を、
洋佑は力強く抱いて不安そうに覗き込む。
大粒の涙の訳。
それは、私の目に飛び込んできたのが花嫁と抱き合う男性の姿で、
その男性がニキさんだったから。
洋佑「伊吹!どうした!?気分でも悪いか」
伊吹「ふっ。これって決定打よね。
こんな光景見せられたらもう何も言えない……」
洋佑「ん。なんの光景って?
伊吹、いったいどうした」
伊吹「もう。ニキさんって本当に意地悪。
彼女と嬉しそうにハグしちゃってさ。
偶然にしても、止めを刺すようにこんな場面まで見せつけるかな」
洋佑「ニキ!?」
その言葉を聞いて、洋佑は結婚式場の窓にもう一度目をやる。
そして彼もようやく花嫁を笑顔で見ているニキさんの姿を確認した。
蹲る私を支えながら一時の間、
刺すような視線を放ってじっとニキさんを見ていたけれど、
洋佑は冷静な声で言葉を発する。
洋佑「伊吹。ちょっとここで待ってろ」
伊吹「えっ。待ってろって、何処へ……」
洋佑「いいから、逃げるなよ」
洋佑は立ち上がり道路を横断すると、
何のためらいもなく結婚式場に向かう。
私はゆっくり顔をあげて彼の背中を目で追った。
洋佑はスタスタと早歩きで結婚式場の入口に入っていく。
そして、男性数人と話しているニキさんの傍に近寄っていったのだ。
伊吹「えっ!?洋佑、何やってるの!?」
(結婚式場1階、ロビー)
人だかりのできたロビーを入り、階段側にいるニキさんを見つけると、
洋佑は彼の肩を叩き、振り向き様におもっきりニキさんの胸倉を掴んだ。
ニキさんは一瞬、自分の身に何が起きたのか、
目の前にいる男が誰なのか解らなかったようで、
偏執的な洋佑をじっと見ている。
しかし暫くすると吐かれる声でそれが誰なのか鮮明に分かった。
彼の傍にはニキさんのお兄さんである翔琉さんと冬季也さんも居る。
笑い声と明るい会話が飛び交っていたロビーは、
一瞬で凍りつき静まり返ってしまった。
笑顔で友人に囲まれていた花嫁、
舞香さんの顔からも先ほどの笑みは消えている。
洋佑 「おい、仁木向琉。ちょっと顔貸せ」
向琉 「遠藤さん!?どうしてここに……」
洋佑 「お前、忘れてないよな。
伊吹を泣かしたら許さないって」
向琉 「えっ」
洋佑 「あれだけ俺に啖呵きっといて、もう忘れましたなんて言わないよな。
それとも。伊吹のことなんて、きれいさっぱり忘れちまったか」
翔琉 「向琉、どうした?
こいつ誰だ。あんた何なんだ!」
向琉 「兄貴、いいから」
洋佑 「俺はこいつの恋敵だよ」
冬季也「君は。あの時の……」
洋佑 「あぁ。教授さんも一緒か。
あんたとも4年半ぶりの再会だな」
向琉 「遠藤さん。
僕に用があるなら後でゆっくり話そう。
今は遠慮してくれ。
大切な式の途中だ」
洋佑 「こっちはそういうわけにはいかないんだ。こい」
翔琉 「おい、やめろ!弟を放せ!」
洋佑は腕を掴む翔琉さんの手を振り払い、ニキさんの胸倉を掴んだまま、
引きずり回すように結婚式場の外に連れ出した。
連れ出されたニキさんは、
通りの向こうで呆然と立っている私の姿を見つける。
向琉 「伊吹さん?」
洋佑 「お前は俺に宣戦布告したよな。
『大切に想ってるんで、彼女が泣くようなことはしない』
俺が伊吹の困ることや泣くようなことをした時は許さないってさ。
あの時、お前は俺の肩を掴んでそう言ったんだ。
だがどうだ。
あれから何か月も経たないうちに、
お前は伊吹を捨てて、他の女とこうやって結婚式を挙げてる」
向琉 「はぁ!?ち、ちょっと待ってくれ!」
翔琉 「向琉!警察呼ぼうか!?」
舞香 「向琉。大丈夫?
えっ。あの人……
通りに立ってる女性ってもしかして」
向琉 「兄貴、大丈夫だから式を続けててくれ。
舞香やみんなに迷惑がかかる。
舞香、みんなが困ってるから中に戻って。
僕もすぐ行くから」
舞香 「で、でも」
翔琉 「向琉、なんかあったらすぐ呼べよ」
向琉 「ああ」
冬季也「ほらっ、舞香ちゃん。一緒に行こう」
舞香 「でも、向琉が」
ニキさんの姿の奥に、彼によく似た翔琉さんと冬季也さんの姿が見えて、
私は結婚式場入口で、心配そうに立っているドレス姿の舞香さんに気がついた。
そして彼女の目は完全に私に向けられている。
舞香さんの物言いたげな視線を感じ取ったのもあって、
ニキさんを直視することができない。
あれほど逢いたいと願っていたのに、彼と向かい合わせで見つめ合うことが、
これほど辛いものとは思っていなかった。
ニキさんが洋佑に何を話しているのか気にかかる。
でももう、彼はこの手には届かない人。
今すぐこの世から消えてしまいたいとまで思ってしまった私は、
この状況に耐えられず北千住の駅に向かって逃げるように走り出した。
伊吹「ニキさん。さようなら……」
洋佑「伊吹!」
向琉「伊吹さん!」
洋佑「逃げるなって言ったのに!」
向琉「(この状況じゃ彼女を追いかけられない……)」
引き留める声にも振り向かず走って、警察署の前の横断歩道を足早に渡る。
そして角を曲がって線路沿いを歩いて、
北千住の駅まで行くと歩道橋の階段を駆け上がる。
私は階段を登り切ったところで、再び力なく座り込んだ。
気がつくと辺りはすっかり暗くなっている。
行き交う人の波もずいぶん少なくなって、
先ほどまで空いていたデパートも閉店していた。
私はバッグから携帯を取り出して画面を見る。
洋佑からの着信が20件近くあり留守電も入っていて、
その履歴の中にニキさんの名前もあった。
私はその名前を見つめながら履歴から通話ボタンを押し電話する。
矢木姫奈の携帯に……
それから1時間は経っただろうか。
時間の感覚も無くなっている。
そんな腑抜け状態の私の身を案じて、姫とユウさんが迎えにきてくれた。
駅前のバス停で座っていた私の前に、一台の乗用車が止まる。
そして助手席から姫が「伊吹!」と声を掛けながら降りてきた。
彼女に抱えられるように立ち上がり、ユウさんの車に乗り込んだ。
後ろの席に座ってぼんやりと流れる景色を眺める虚ろな私を、
ユウさんはルームミラー越しに、
姫は助手席から何度も振り返り、心配そうな表情を浮かべる。
もう少ししたら悪夢のような辛く長い1日が終わるんだ。
「家まで送って欲しい」と力なく言った私に姫は優しく微笑む。
姫奈「電話しても伊吹はまったく出ないから、
ユウさんと心配してたんだからね」
伊吹「ごめんね。
これ以上迷惑掛けれないから、うちに送ってもらえる?」
姫奈「そんな状態のままで家になんて帰せないわ。
何があったかゆっくり話し聞くから。
彼のことで気にかかることがあるなら、
ユウさんにも聞いてもらったら?」
伊吹「彼ってニキさんのこと言ってる?」
姫奈「そうよ」
伊吹「それならもういいの。終わったことだから」
姫奈「終わったって何が終わったの?」
悠大「とにかくうちで話そう。ねっ、伊吹ちゃん」
このまま帰すのは心配だと姫から宥め賺され、
最終的にユウさんのごり押しと判断で、
彼のマンションへ行くことになった。
仲良くしている二人を見ているのも、
温かさを失ったこの心は複雑だった。
到着して外に出ると鮮やかなイルミネーションを纏い、
天に向かって高く聳え立つスカイツリーが間近に見える。
二人に導かれるがままマンションに向かい、
エレベーターに乗ってユウさんの家の玄関へ入った。
優しくリビングに通されて部屋に足を踏み入れた一瞬、
私の身体はまたも硬直し、身震いと共に涙も溢れる。
ドックンドックンと波打ち急激に上昇するパルス。
脳裏に鮮明に焼きついたウェディングドレスの舞香さんの姿と、
彼と向かい合わせになったあの恐怖も再び蘇ってくる。
ここにきて何故なのか……
それは半開きの窓に凭れて立っている、
礼服姿のニキさんがそこに居たからだった。
(続く)