ふたりだけのアクアリウム
今日の僕はほとんど外回りに出かけていて、そういえば会社にあまりいなかった。
義理チョコを毎年女性社員からいただくけど、今年は受け取る暇もなかったのだ。
数日前くらいまでは「もうすぐバレンタインだな」くらいには思っていたけど、ここのところ忙しすぎてそれどころじゃなかった。
「そうか、今日だったのか。ごめん、すっかり忘れてたよ」
あはは、と笑っていたら、そうじゃないのと彼女が落ち込んだ様子でうなだれた。
「結局、お菓子は焦がしてしまって。失敗しちゃったの。一路さんはビターなのが好きだと思って、うんと苦いの作ってたのに……」
「そうだったのか」
「だから、ごめんなさい。今日はバレンタインの用意は間に合わなかったから、また明日にでも市販のものを買って来るから。待っててもらってもいい?」
逸美ちゃんはしおらしくなり、とても申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
正直言って、僕はそこまでこのイベントにこだわっていなかったので気にならないのだけれど。
それを口にしたら彼女に悪いような気がしたので、「いいよ」と答えた。
そのまま手を伸ばして、逸美ちゃんの体をぎゅう〜っと抱きしめた。
「そんなことで謝らなくてもいいんだよ」
「…………でももう会社の人からいくつかもらってるでしょ?彼女からは無いなんて、私が耐えられないんだもん」
「えー、変なこだわり」
「もう他の子の食べちゃった?」
「今日は外回りメインだったから、誰からももらってないよ」
えっ!と驚いた表情で僕の胸から顔を上げた彼女は、なんとも言えない複雑そうなものへと変わり、そしてアタフタ慌て出した。
「へぇ、逸美ちゃんって意外と独占欲強いんだね」
「そ、そういうわけじゃ……!いや、そうなのかな?」
「はは、否定しないんだ」
自己解決している彼女が面白くて、そしてとても愛しい。
天然っぽいと思うけど、言うと「違う!」と怒るので言わない。
計算のない穏やかで緩い彼女の温かい愛が、心地いい。
「大丈夫。バレンタインはとびきり甘いのをいただくよ」
ガブッとかぶりつきたいのを我慢して、ちゅっと彼女の唇にキスをしたら、途端に頬を赤らめていた。
もうこれで、僕はお腹いっぱい。