ふたりだけのアクアリウム
沖田さんだ。
うちの会社の営業部の沖田さん。
昼間に綱本係長にこっぴどく叱られて、でもへこたれずに夜までに1件契約を取りつけたあの沖田さん。
どうしてここに?
その疑問はどうやら私の顔にしっかりと書かれていたらしい。
合流するなり彼はすぐに答えてくれた。
「新規の契約先のお店、この近くなの。すぐに商品を置きたいって言ってくれたから、ついさっき納品しに行ったんだ」
「そうだったんですね。遅くまでお疲れ様でした。直帰ですか?」
「うん。店主のおじさんが夜ご飯ご馳走してくれて。すぐそこの小料理屋にいたの」
明るくはないけど人の良さそうな顔立ちというか、沖田さんは佇まいが柔らかい。
彼の成分の半分は優しさで出来ていそうな。何かの薬の成分みたいな。
ひとりで考えて笑いそうになっていると、不意に沖田さんが身をかがめて私の顔のすぐ横に近づいてきた。
瞬間、キスでもされるのかと不覚にもドキッとしてしまったけれど、もちろんこの状況でそんなことが起きるわけがなかった。
「佐伯さん……お酒飲んだ?」
「あ、はい……茅子さんと。……臭いですか?」
近くで見ると、沖田さんの瞳は昼間よりももっと明るい茶色に見えた。色素の薄い綺麗な目。
「臭いわけじゃなくて、お酒の匂いがするなぁと思っただけだから安心して」
ゆっくりと顔を離した沖田さんは、腕時計に視線を落としたあと私にニッコリ笑いかけてきた。
「僕の車、そこのパーキングに停めてるの。良かったら乗っていかない?家まで送る」
「えっ……」
まさかの展開。
さっき駿一さんにも同じことを言ってもらったんだった。
それは「寄るところがある」なんて嘘をついて断ったけれど……。
今まで大してきちんと向き合って話したこともない他部署の沖田さんと、こんな形で話すことになるとは。
申し出は本当にありがたいけど、受け入れる理由も無いし断ろう。