ふたりだけのアクアリウム
沖田さんの下の名前を、実のところ知らなかった。
今まで彼に興味もなくて、「下の名前なんて言うんですか?」って聞くのも失礼な気がして。
もう何年も同じ職場で働いてるっていうのに、知らないなんて。
あの日の夜、遅くなったにも関わらず、私のアパートまで車で送ってくれた時にでも、さりげなく聞いておけばよかったんだけど。
おかげで気になったまま月曜日を迎えてしまった。
「沖田…………かずみち」
会社の事務所の営業部には壁に大きなホワイトボードがあって、そこに個人の営業成績が貼られている。
ベテランから今年入社した社員まで、ずらりと名前が並んでいた。
その中に、沖田さんの名前があった。
『沖田一路』
へぇ、「かずみち」か。
しっかり覚えておこう。
「いっちゃーん!おはよ〜!!」
まだあまり社員も出揃っていない事務所の中に、一際大きな声で挨拶してきた元気な女性。
茅子さんだ。
顔を見なくても、めちゃくちゃ申し訳なさそうにして駆け寄ってくるんだろうな。
……と思っているうちに、バタバタと足音がして茅子さんのどアップが私の視界に飛び込んできた。
もちろん、期待を裏切ることなく全面に「ゴメンナサイ」を押し出している。
「金曜日は本当に本当にごめん!!…………ていうか、いつもごめん……」
「気にしないでください。慣れてますから」
「慣れちゃダメでしょ、慣れちゃ!そろそろ本気でヤバいって自分でも分かってる〜」
酔っ払った茅子さんは面白いから、あれはあれで私のお気に入りの一面でもあるのだけれど。
本人は気にしているようなので、言わないでおこう。